周辺幻

沖の監視

【短編小説】嘔吐2023

漫才を見ると吐く女は、僕と暮らし始めるまでお笑いをまともに見てこなかった。ダウンタウンも、明石家さんまも、タモリも知らなかった。

特に何があったわけではない。厳格な家庭に育ちバラエティを一切見せてもらえなかったからとか、西のお笑い文化を一切受け付けていなかったとか、そういった類の話ではない。むしろ彼女の出自は大阪でお笑いの文化はごく身近なものだった。クラスメイトは放課後お笑いの劇場に寄り、深夜のテレビバラエティをチェックし、面白い芸人や企画について忌憚のない意見を教室の隅でぶつけあっていた。僕も彼女と同じクラスメイトだったら、おそらくその中にいて唾を飛ばしていたはずだ。しかし、彼女はその会話に参加することはなかった、それだけのことだ。彼女の家にはテレビもビデオデッキもあり夕飯後には母親と二人の妹たちはウリナリめちゃイケ電波少年を見ていたが、彼女にはそれが遠い国の学校行事のようなものに思えた。お笑いを見聞きするよりも演劇や舞踏やクラシック音楽の方が面白かったし、それ以上に本や参考書を開く方が自分を鼓舞する感覚が得られて好きだった。周りは周り、私は私。テレビを全く見ないわけではないが、クラスメイトや家族がいうところの有名人の名をわざわざ覚えようとは思わない。彼女にとって有名人とはダウンタウンではなくアインシュタインあり、明石家さんまではなくレオンハルト・オイラーであり、タモリではなくノブ・モリオだった。その考えは小学生でも中学生でも高校生になっても大学に行っても変わることはなかったが、彼女が二十三歳の時、スーパーマーケットのバイト先の先輩ーつまり僕ーと同棲し始めてから日常へ本格的にお笑いが入り込み始めた。レジ打ちをする彼女の締め作業を、機械管理者(といってもただのダブルチェック要員に過ぎない)の僕が点検する。彼女がレジの記録と現金を照合し僕は手元のバインダーのOK欄にチェックを入れる。簡単な作業だ。その形式的なやり取りが三十回程超えたある秋の日、僕たちは初めて作業に関する最低限の会話以外のやり取りをした。

「なんで頭がいいのにレジ打ちのバイトなんかしてんの?家庭教師とか塾講師の方が割がいいのに」と僕は言った。

「好きですから、レジ打ち」と彼女は答えた。「櫻井さんこそなんで?」

「人としゃべらなくて済むから」と僕は言った。

それから僕はバインダーに挟んでいた予備のチェックシートの裏へ電話番号を書きバインダーごと彼女に渡すとそのまま二度とバイト先には行かなかった。群馬から東京へ出てきて三年、最低限のバイトと食事で辛うじて生き延びながらネタを書き続ける毎日だったが一つも芽は出ていない。もう放送作家の夢も潮時だと思った。三年間で書き溜めたネタ帳の全てを捨て荷造りを完了しアパートを引き払う前日、電話が鳴った。ほとんど会話らしい会話をしていなかったはずだが、すぐにその声の主がバイト先のあの女だと分かった。

「電話、かけてみました」と彼女は言った。「フィッツジェラルドグレート・ギャツビーを読んだから」

「それってどんな本?」

「ある男女が瓦解する話」

「詳しく聞かせてよ。これから早稲田のジョナサンでハンバーグとか食いながらさ」

 彼女の電話を受けて食事に誘おうと思った理由は大きく分けると三つある。一つ、彼女が好きだった。一つ、自棄になっていた。一つ、瓦解の意味を知りたかった。

あの晩僕たちはジョナサンで何時間過ごしていただろう。僕はドリンクバーで飲めるすべての種類のドリンクを飲み、デミグラスハンバーグのセットとサイコロステーキと海鮮チゲうどんと季節のあまおうパフェとフライドポテトの山盛りを平らげた。彼女はといえば、目の前のコーヒー一杯すら飲み干さず、絶え間なく喋り続けていた。僕はテーブルに並んだ久々のまともな食事に舌鼓を打ちながら、彼女の生い立ちを聞き、フィッツジェラルドの文章構造について聞き、パリの街並みの移ろいについて聞き、ルービンの統計的因果推論について聞き、一つの詩が完成するまでの果てしない道のりについて聞いた。瓦解の意味が結局分からないまま、彼女が会計を済まし店を出ると朝靄の中で鳥の鳴き声が聞こえた。その日から僕は彼女のアパートに転がり込んだ。

居候生活が始まると一日がやけに長く感じられる。当面は働かずともライフラインが止まることはないし手作りの料理にもありつける。僕は彼女が作り置きしていたポトフやロールキャベツやシチューなんかをすすりながら、有り余る時間のすべてをバラエティ鑑賞に注ぎ込み始めた。大学の授業を受け、家庭教師のバイトを終えて夜遅く帰ってきても、彼女は机に向かい本を読みノートに何か書きつけていた。おそらく料理は僕が寝ている間につくっているのだろう。彼女が机に向かい文字を目で追っている姿は美しく圧倒されたが、同時に僕を少し辟易とさせた。お笑いよりも読書や勉強が面白いだなんて!小学生のとき国語の教科書を早々に紛失し、中学生のとき一次関数と聞くだけで発狂寸前となっていた僕には彼女の学習生活を見ても尚その趣向が信じられなかった。でも、人それぞれだ、何を面白いと思うかは。そしてまた誰かを好きになることも。

彼女は、早稲田大学理工学部を主席で卒業し、私立進学高の数学教員となった。またその傍ら、高校生の現代詩の選考委員を務めながら自ら詩や散文を書いている同棲し始めた一年目の冬に僕も彼女の詩を見せてもらったことをよく覚えている。教養のない僕にも読める平易な言葉でその詩は構成されていた。理由はよく分からないが、一読し、凄いと思った。僕が漠然と感じた「凄い」の一言。それは、プロの目にはこんな風に表現される。彼女の詩が文芸誌に掲載されたときの選評を引こう。

 

"大胆不敵でありながら工芸品のような優美さと繊細さを兼ね備え、独特のリズムで読み手の心をつかむ。特に優れているのは構成力だ。一見ばらばらに見える欠片を、この若き作者は眼を凝らし拾い上げる。そして、まるで将棋の新手のような鮮やかな発想で、点在する欠片からダイアモンドを生成してしまう"
"
羽生善治棋士が打った一手により既存の手筋が押しなべてアップデートされてしまったように、今まで誰も思いつかなかった新たな正解を彼女は見つけ出してしまうのだ。"
"
その技術は、当然作者が本を読み、書くことを中心としてして習得してきたと考えられるわけだが、はたからその手腕を目撃すると、ほとんど神業(マジック)のようなものに見え、その種明かしが行われた暁には、どうにも後天的に身につけたもの以外の「才能」という二文字が種に仕込まれていると想像せずにはいられなかった"

 

「もう少しストレートにものを言えないもんかな」選評が掲載されているページに付箋を貼りながら僕は言った。彼女はたしか微笑し、どこか居心地悪そうにこう答えたはずだ。「ありがたいよねえ」

ありとあらゆる物事には光があれば影がある。選考委員の先生方は光を浴びて無邪気に絶賛しているが、生活を共にする僕は彼女の影の部分を知っている。彼女はお喋りが絶望的に下手だ。四分間で収まる話を二週間かけて喋る。書き言葉ではあれほど見事に組み立られていた言葉の破片が、話し言葉になった途端に崩れ出し、見失い、まるで明石家さんまの容赦ない振りに応じるユーチューバーのように、彼女はおろおろとしている。ひとたびペンを握れば人の一生を圧縮し、僅か十四行で表現しているはずなのに。どうやら才能というものは相応の代償を支払うことでしか獲得できないらしい。

彼女は煙草を引っ切り無しに吸いながら定期的に詩を創作し定期的に応募し定期的に受賞していたが、編集部から送られてくる授賞式やパーティの招待メールには欠席の連絡を入れるのみであった。そのうち、メールが送られてくることはなくなった。話すことが嫌いな訳ではないがとにかく億劫らしい。知らない人と知らない会場でとなるとそれは尚更顕著にあらわれる

 

例えばあなたが彼女と何か話そうとする。あなたは彼女とスターウォーズの新作を観に行き、帰りに映画の感想について話していたとしよう。あなたは映画の余韻に浸りながらも、内容にいくつかの疑問点を持っている。あのキャラクターとキャラクターの関係性は?結末が示唆するものは?金髪の女が背中から呼びかける声に振り向かず立ち去ったのは何故?果たして金髪の女はどこへ行ったのだろう?故郷の火星?もしくは旅の途中で立ち寄った湖畔?イオンモール高崎店?あるいは意識のブラック・ホール?頭に渦巻くこれらの疑問点を彼女ならば解消してくれるはず。あなたはそう期待する。ちなみに、ご承知の通り僕は一度もスターウォーズを観たことはない。

「映画どうだった?」とにかくあなたはそう質問し彼女の感想を待つ。すると、彼女は唐突にお雑煮の文化について話し始める。あなたは、一瞬何が起こったか分からなくなりパニクる。そのまま茫然としつつも二人歩みを進めているうちに、話はお雑煮の文化から、彼女の実家での正月の過ごし方に移行している。あなたは切符を買ったところまではよかった。しかし、どうやら電車を乗り違えたらしい。
 あなたは反対に流れる車窓の景色を見ながら、次の駅で電車を降りようと目の前の彼女を説得しようとする。「僕たちはスターウォーズの新作を観に行ったんだよね?」けれども、時、すでに遅し。電車はノンストップで終点へと進んでいく。お雑煮の話は、彼女の母親の話になり、幼少期の登下校の出来事が紹介され、気が付けば現代ドイツの精神病理について、彼女はその見解を述べているのだ。

では、やり直そう。お雑煮の文化の話の時点で、「それはスターウォーズと何の関連があるの?」と訊けばよかったんだ。簡単なことだ。関西と関東の出汁の取り方について彼女がレクチャーする前に、あなたは間髪入れず訊ねる。すると、「私の中では関連してるんだ」と必ず説明が入る。しかも即答で。自信たっぷりの声に思わずたじろぐ。

スターウォーズとお雑煮文化が?はて?

あなたは、お雑煮の文化の話を無碍にも出来ず、ひとまず耳を傾ける。
ここで、「関連してるってどういうこと?」などと質問を重ねてはならない。そんなことを絶対にしてはいけない。もしかすると、一回目の挑戦では何かを聞き逃してしまったのかもしれない。何しろ彼女は文章の天才だ。今度は注意深く、お雑煮の話を聞いてみよう。

ほら、その配慮がいけなかった。その謙遜がいけなかった。あなたがいくら注意深くなろうとも、そんなことは関係がない。話が終点に到着しようやく電車を降りると、そこはドイツの精神病棟の寝台の上だ。

全く、一体どうやって数学を生徒たちに教えていたのだろう。定められた期間内にカリキュラムを網羅することが出来るとはとても思えない。生徒たちは君の説明を聞いて一次関数が理解できるの?かつて彼女にそう訊いたところ「じゃあ今から授業しようか」と言いだしたのでそれから一度も話題に出していない。僕はxとかyとか言われただけで、身体中を搔きむしりたくなる衝動に襲われる。

漫才を見ると吐く女は、僕と同棲して五年目の春に初めてダウンタウンの顔を認識することが出来るようになった。彼女が数学教師になって三年目。初めて特進クラスの担当に就いたと喜んでいた年だった。テレビに映ると指をさし「松っちゃん、浜ちゃんだ!」と知人を見つけたかのように喜んで言っている。ただ、二人がダウンタウンというコンビであること、松ちゃんがボケ浜ちゃんがツッコミという役割を持っていることは、どうにも理解が及ばないらしい。僕が挫けず説明し、何度もガキ使やワールド・ダウンタウンやごっつを見せ続けているうちに、少しずつ少しずつ彼女はダウンタウンという言葉を覚え始めた。しかし、やはり芸人のコンビという枠組が理解しがたいらしく、未だに千鳥が二人テレビに映っていると、「あ、千鳥と大吾だ!」と言うし、モグライダーを見ると、「あ、芝とモグライダーだ」と言う。トリオが出てくると余計に混乱している。おたけを見るとジャングルポケット、と言い、ジャングルポケットを見ると、おたけだ、と叫ぶ。なぜだかダウ90000については驚くほど素直に飲み込んでいたけれど。

 

僕たちが同棲して八年が経った。僕は友人の紹介で地元の印刷業者に就職し、それに伴い、彼女は東京のアパートを引き払い、二人で高崎に引っ越した。彼女は教員を辞め詩作に関する様々を辞めた。その間に、バラエティの形態も視聴方法も出演者もずいぶんと変化した。高崎に戻り、放送作家になることを放棄すると身体は軽くなり、僕は小学生のときウリナリを見ていたころのようにバラエティを純粋に楽しめるようになった。彼女も読書や勉強をすることはだいぶ減った。その代わりに、僕と並んでバラエティを見る時間が増えた。二〇二三年もじきに終わろうとしている。テレビの番組表には年末特番が少しずつ顔を出し始め、年末の大型漫才コンテストの告知番組や事前番組が流れ始めていた。コンテストの放送日はクリスマスイブ。毎年恒例となったスーパーの買い出しも馴れたものだ。

僕たちは放送当日、クリスマスならではの飾りつけや食品が並んだスーパーで買い出しに行く。フライドチキン、お刺身、コーンスープ、大量のサラダ、ハーゲンダッツ、そしてビールを1ダース...番組の途中で酒が切れたら興醒めだ。僕たちはセルフレジで商品のバーコードを一心不乱にスキャンしていく。

「ねぇ、バイトしてた時よりさ、真面目にやってる感じしない?」と彼女が言った。

「俺はね。ただバインダー持ってあほみたいな顔ぶら下げて傍観してただけだから。でも、お前は違うだろ?」

「ううん、ちっとも真面目にやってなかったよ」彼女はそう言うと、笑った。

ピカソの星月夜が描かれたマイバッグから大量の食品を冷蔵庫に入れ、ポテトチップスやチーズ、海老のグリーン・サラダなど、すぐに摘まめるものはビールと共に食卓に並べる。僕たちは事前番組から敗者復活戦から煽りVTRからくまなくチェックした。今年は特に前振りが長い。僕はおつまみを口に入れながら、エビス・ビールのロング缶を4開け、アイラ・ウイスキーをトワイス・アップで5杯飲んだ。彼女は食欲がないのか、サラダを少しつまむ程度でほとんど料理には手をつけず、 お酒も口にしなかった。僕が前菜を平らげ、温めなおしたメインのフライドチキンにかぶりついたとき、本編が始まった。というより、本編が始まる6時半に合わせてフライドチキンを調整していたのだ。面白い漫才を立て続けに享受するのにもエネルギーが要る、僕はそう思っている。彼女は電子タバコを吸いながら、スマートフォンで番組の公式ホームページにアクセスし、出場者の顔ぶれを今一度チェックしていた。モグライダーが出場していることを喜んでいる。おそらく、顔と名前が一致している数少ないコンビなのだろう。敗者復活戦を見ながら何やら書き付けていたノートも手元に置いてある。司会者の今田耕司が審査員を紹介し、スタジオのボルテージがあがる。いよいよレースが幕を開ける。その時部屋に鋭い声が響いた。「ごめん!」

彼女はそう言うやいなや、手元のノートを素早く広げその上に文字を吐いた。僕は急いでチキンやサラダを詰めていたスーパーの袋を持ってきて彼女に渡す。彼女は嗚咽しながら袋へまたも文字を吐く。僕は袋を支え文字を受け止める。袋が異様に重たかった。袋の中の吐瀉物を薄目で見ると、文字がうようよビニールの中で動いている。

「それ返して!」彼女は僕の手から文字入りの袋を奪い取ると、トイレへ駆け込み、鍵をかけた。僕は彼女のえづく音を聞きながら、テレビの中の漫才を見た。トップバッターである令和ロマンが爆発的にウケている。次は、彼女が敗者復活戦を見て気に入っていたシシガシラだが、彼女はトイレに籠って出てこない。

結局、嘔吐は三時間以上続いた。嵐のような激しい嘔吐だった。放送中CMが入るタイミングでトイレから出て寝室で横になっている彼女の背中をさすり、口元についている「っ」や「ょ」などの小さな促音をティッシュで拭った。「大丈夫?」と僕は声をかける。彼女は背中で息をするように身体を震わせながら言った。「そのティッシュ、捨てないで」

僕はくるんだティッシュを開き、促音たちを摘む。「っ」や「ょ」の文字は、彼女の唾がまだ乾いておらずまだ微かな湿り気があり、砂浜に打ち上げられた魚のようにぴちぴちと跳ねた。僕は促音を彼女の手のひらに置いた。

「大丈夫、自分で捨てるから」と彼女は言った。

結局彼女は本戦の漫才を一つも見ることはできなかった。ようやく嘔吐が収まったのは、いよいよ漫才コンテストの優勝者が決まろうとする直前だった。画面の中で、上戸彩が毎年恒例のセリフを言う。「発表は、今年も、CMの、あとです!」

決勝進出した芸人たちが一斉に故意に転倒する中、彼女はようやく楽になったのか寝室からテレビのあるリビングに顔を見せた。程なくして、漫才コンテストのスポンサーである、日清食品カップうどんのCMが流れる。すると、彼女は文字の嘔吐で疲れた眼を輝かせた。画面には軽快な音楽の中リズミカルに歩行する太った芸人の姿がある。漫才を見ると吐く女は画面を指差しながら言った。

 

「もぐら!水田もぐら!水溜まりボンドとコンビなんだよ。空気かたまり!螺旋階段のもぐ川!水谷豊!」

もしボードレールがパンクロック歌手だったなら

めっちゃムカつく。
なんにも分かってない、客も、偉そうな評論家共も。バンドの奴らも。

そもそも、いろんなことから解放されたくて音楽やってんのに、
ノリとか韻律とか、そんなこまけーことに拘泥しやがって。テクに溺れて。
練習時間や成果を観客に嗅ぎ取ってもらいたいなら、パンクをやるべきじゃない、オケでもピアノでもやったらいい。

俺は消えてなくなる前に、暴れたいだけ。
それが俺の音楽。
パリの灰色のお空みたいに、沈痛な顔して終わりを待つのはいやだ。苦しい。

泣きそうだ。もうだめだ。

極彩色の光を浴びて、ライブ中は、俺が俺でなくなる感覚で、
別物になってみたい。できれば光の粒子みたく、めちゃくちゃちっこくなってみたい。
人間はめちゃちっこいのに、イキって、言葉だ芸術だ、と偉そうだ。
いやになる。身の程を知れ。俺含め。

死ね、死ね、死ね、死ね、死ね!
死ね、死ね、死ね、死ね、死ね!
死ね、死ね、死ね、死ね、死にたまえ。
死ね、死ね、死ね、死ね、死ね!

 

おっ、おーお、おっ、お、おーお、おっ、おっ、

 

ドラムの音が鳴った。

ボードレールはマイクを両手で包み込んだ。

そして、かすれてガラガラになった濁声で言った。

 

「まずは "午前一時に"」

 

C
やつと独りになれた!

G     Em    Am        Fmaj7  G7 C
聞えるものはのろくさい疲れきつた辻馬車の響ばかり。

F  Fm       Am  C   G     
暫くは静寂が得られるのだ、安息とは行かないまでも。

Dm  Em      Fmaj7  G         G7
暴虐をほしいまゝにした人間の顔もたうたう消え失せた、

C         Em        Bm       Cm7
俺を悩ますものはもう俺自身ばかりだ。

 

(『パリの憂鬱』収録の「午前一時に」より抜粋)

 

…なんだお前ら。
半端な顔して、半端に突っ立って。
パリのお空を顔に浮かべてるんだろ?プライド持てよ、その憂鬱に。


… … …。
… … …。


まぁ、分かるよ。お前らの事。
今日は会えてよかったよ。
でも、分かるってのは同じって意味じゃないよ。

お前らと俺は違うんだ。
俺は、もう家に帰る。

 

最後の曲は、テープに録ってあるから、これを流します。
すいません、できますか?

…どうもありがとうございました。じゃ、俺帰るから…。


歌、よかったら聞いてって。
あ。そこのあなた。そう、赤毛の…。「 」のところ、歌ってくれる?

 

ありがとう。
じゃあ。
あなた方でこの歌を完成させてください。Passez une bonne nuit.

 

人生は一つの病院である。
 そこに居る患者はみんな寝台を換へようと夢中になつてゐる。
 或るものはどうせ苦しむにしても、せめて煖爐の側でと思つてゐる。
 また或るものは窓際へ行けばきつとよくなると信じてゐる。
 私はどこか他の処へ行つたらいつも幸福でゐられさうな気がする。
 この転居の問題こそ、私が年中自分の魂と談し合つて居る問題の一つなのである。

「ねえ、私の魂さん、可哀さうな、かじかんだ魂さん、リスボンに住んだらどうだと思ふね?
 あそこはきつと暖かいからお前は蜥蜴みたやうに元気になるよ。
 あの町は海岸うみぎしで、家は大理石造りださうだ。
 それからあの町の人は植物が大嫌ひで、木はみんな引き抜いてしまふさうだ。
 あすこへ行けば、お前のお好みの景色があるよ、光と鉱物で出来上つた景色だ、それが映る水もあるしね。」

 私の魂は答へない。

「お前は活動してゐるものを見ながら静かにしてゐるのが好きなんだから、オランダへ
 ――あの幸福な国へ行つて住まうとは思はないかい。
 画堂にある絵で見てよくほめてゐたあの国へ行つたら、きつと気が晴々するよ。
 ロツテルダムはどうだね。何しろお前は檣マストの林と、家の際に舫もやつてある船が大好きなんだから。」

 私の魂はやつぱり黙つてゐる。

「バタビヤの方がもつと気に入るかも知れない。その上あそこには熱帯の美と結婚したヨーロツパの美があるよ。」
 一言ことも言はない。――私の魂は死んでゐるのだらうか?
「ぢあお前は患わづらつてゐなければ面白くないやうな麻痺状態になつてしまつたのかい?
 そんなになつてゐるのなら、『死』にそつくりな国へ逃げて行かう
 ――万事僕が呑み込んでゐるよ、可哀さうな魂さん!
 トルネオ行きの支度をしよう。いやもつと遠くへ――
 バルチク海の涯はてまで行かう。出来るなら人間の居ないところまで行かう。北極に住まう。
 そこでは太陽の光はただ斜に地球をかすつて行くだけだ。
 昼と夜との遅のろい交替が変化を無くしてしまふ、そして単調を――虚無の此の半分を増すのだ。
 そこでは長いこと闇に浸つてゐられる。
 北極光は僕等を楽しませようと思つて、時々地獄の花火の反射のやうに薔薇色の花束を送つてくれるだらう。」
 遂に、突然私の魂は口を切つた。そして賢くもかう叫んだ、
「どこでもいゝわ! 此の世の外なら!」

 (『パリの憂鬱』収録の「ANY WHERE OUT OF THE WORLD この世の外ならどこへでも」を引用)

 

ライブ終演後、まばらな客に向かって赤毛の女が物販コーナーで叫ぶ。

「よろしくお願いしまーす!全50曲入りです!4000ユーロでーす!ぜひお求めくださーい!」

 

収録曲
1 異邦人
2 老いた女の絶望
3 芸術家の告白の祈り
4 おどけ者
5 二重の部屋
6 人はみな噴火獣を背に負って
7 道化師とヴィーナス像
8 犬と香水壜
9 商売下手のガラス売り
10 深夜一時に
11 野蛮な女と気取った恋人
12 群衆
13 寡婦たち
14 老いた大道芸人
15 菓子
16 時計
17 髪のなかの半球
18 旅へのいざない
19 貧しい子供の玩具
20 妖精たちの贈物
21 誘惑  またはエロス、プルートス、栄光の女神
22 黄昏
23 孤独
24 計画
25 別嬪のドロテ
26 貧しい者の眼
27 英雄的な死
28 贋金
29 気前のいい賭博者
30 縄
31 性向
32 バッカスの杖
33 酔うがよい
34 もうすでに!
35 窓
36 描くという欲望
37 月の恵み
38 どちらが本当の彼女か
39 純血種の馬
40 鏡
41 港
42 愛人たちの肖像
43 粋な射手
44 スープと雲
45 射撃場と墓場
46 光輪の紛失
47 ビストゥリ嬢
48 ANY WHERE OUT OF THE WORLD  この世の外ならどこへでも
49 貧者たちをぶちのめせ!
50 気のいい犬たち

 

 

スピッツドラフト会議2023(後半)

Special Album『色色衣』
収録曲
01. スターゲイザー
02. ハイファイ・ローファイ(NEW MIX)
03. 稲穂(NEW MIX)
04. 魚
05. ムーンライト
06. メモリー
07. 青春生き残りゲーム(NEW MIX)
08. SUGINAMI MELODY
09. 船乗り
10. 春夏ロケット
11. 孫悟空
12. 大宮サンセット
13. 夢追い虫
14. 僕はジェット (previously unreleased track)

■指名
むる猫BOY→ムーンライト→メモリー
ぴっぴ→ムーンライト
S氏→魚

むる猫(私)とぴっぴ氏、3回目の競合。えんぴつ抽選の結果、ぴっぴ氏が「ムーンライト」を獲得。いい加減にしろ!!!!(泣)
「ムーンライト」が取れなかったのはかなりの痛手。この曲も代えの効かない存在なんですよね。
怪しげなイントロから始まってサビで疾走し、不穏さを醸し出しながら収束していく、非常にムードをつくれる曲。
楽曲単体でもいいし、何か大きな山場の橋渡し役としても機能しそうなので、これは欲しかった。

ぴっぴ氏が、「スーパーノヴァ」→「アカネ」→「ババロア」→「ムーンライト」と、(なんとなくですが)「地上→空」とか「過去→未来」とか「茜→月光」とか
時間経過や場所の移動を感じさせるような指名を続けていて、アルバムを映画のように捉えたチョイスだなあと思います。

S氏は、ホタルに続いて魚を獲得。想像上の生物ばかりか現実の昆虫や魚もくわえて、いよいよ「ノアの箱舟」的な一大パラダイスを形成し始める。
果ては「たまご」まで取っているが、雛を孵化させ永久機関としての天国をつくる気だろうか?と邪推は止まらない。
加えてその楽曲たちは、皆きらきらと輝いている。自軍と比較するとあまりに彼のチームはまばゆい。

11th Album『スーベニア』
収録曲
01. 春の歌
02. ありふれた人生
01. 甘ったれクリーチャー
04. 優しくなりたいな
05. ナンプラー日和
06. 正夢
07. ほのほ
08. ワタリ
09. 恋のはじまり
10. 自転車
11. テイタム・オニール
12. 会いに行くよ
13. みそか

■指名
むる猫BOY→ナンプラー日和
ぴっぴ→優しくなりたいな
S氏→ありふれた人生

私は沖縄民謡チックな「ナンプラー日和」、ぴっぴ氏は抒情的なピアノ・バラード「優しくなりたいな」、
S氏はオーケストラをバックに人間の普遍的感情を歌う「ありふれた人生」をそれぞれ仲良く獲得。
お互いにとって良い指名ができた回だと思います。

自分がぴっぴ氏なら、「ほのほ」でムードをつくりたいな、とか、S氏なら「甘ったれクリーチャー」で生きとし生けるものの国歌(あるいはアンチテーゼ)を挿入しようか、
とか考えてしまうかもしれませんが、もう皆自軍に相当頭を悩ませ、思い入れがたっぷりで他人が介在する余地なし。

「恋のはじまり」をここらで忍ばせたり、前述の「甘ったれ~」でロック度を強化させたり、とかも考えたけれど、
やはり当初のテーマである「奇妙 & Cool」に準ずることにしました。「ナンプラー日和」もまた、代えがたい挑戦的な一曲。
最後の"風に逆らって Woo 飛ばせ"後のギターコードの運びがどこか切なくて大好きです。

12th Album『さざなみCD』
収録曲
01. 僕のギター
02. 桃
03. 群青
04. Na・de・Na・de ボーイ
05. ルキンフォー
06. 不思議
07. 点と点
08. P
09. 魔法のコトバ
10. トビウオ
11. ネズミの進化
12. 漣
13. 砂漠の花

■指名
むる猫BOY→群青
ぴっぴ→桃
S氏→P

こんな頭のおかしい企画を続けていると、ここらで狂い始めることがわかりました。
10曲を超えると、なかなか統率できなくなってくるんですよね。自分なりのビジョンを拵え計算しながら参加者たちはやっているんだけど、
そろそろそのよくわからん謎の計算もショートしてくるというか。

そんな中で、「群青」「桃」「P」をそれぞれ指名。
のちに反省の弁も口にしてましたが、ぴっぴ氏の「桃」指名は意外でした。
「永遠という戯言に溺れて」というフレーズが何か機能するのかも、とは思いましたが。

S氏の「P」指名は、なんか腑に落ちたところがあります。何に腑に落ちているのかも分からないですが、それが発見というか楽しさというか。
私なら「P]は獣たちが目を開ける神の語りとして、一曲目に配置するのかも。

そういう自分は、ごちゃごちゃ言いつつ色々と怖くなってきていて、どこにでも使えそうだなとユーティリーティープレーヤーとして「群青」を指名。
はんだごてのように、曲と曲をうまいこと接続してくれそうと期待を込めて。

13th Album『とげまる』
発売日:2010/10/27
収録曲
01. ビギナー
02. 探検隊
03. シロクマ
04. 恋する凡人
05. つぐみ
06. 新月
07. 花の写真
08. 幻のドラゴン
09. TRABANT
10. 聞かせてよ
11. えにし
12. 若葉
13. どんどどん
14. 君は太陽

■指名
むる猫BOY→花の写真
ぴっぴ→聞かせてよ
S氏→探検隊

『とげまる』では、三人が必要なピースを埋めるような指名できれいに分れました。
「幻のドラゴン」「えにし」「どんどどん」魅力的なナンバーがたくさんあったんですけど、私は「花の写真」を指名しました。

ぴっぴ氏の指名した「聞かせてよ」は今まで自分があまり注目してこなかった楽曲なので、新鮮でした。
S氏の「探検隊」は、個人的にはこのアルバムで一番好きですね。指名してたら後半に入れたい。『とげまる』は盲点かも。

14th Album『小さな生き物』
発売日:2013/09/11
収録曲
01. 未来コオロギ
02. 小さな生き物
03. りありてぃ
04. ランプ
05. オパビニア
06. さらさら
07. 野生のポルカ
08. scat
09. エンドロールには早すぎる
10. 遠吠えシャッフル
11. スワン
12. 潮騒ちゃん
13. 僕はきっと旅に出る

■指名
むる猫BOY→エンドロールには早すぎる→scat
ぴっぴ→エンドロールには早すぎる
S氏→ランプ


もうええて!(爆)コロコロチキチキペッパーズナダル氏の声真似でそう叫んでしまいました。
私とぴっぴ氏、4回目の競合。もう私はぴっぴ氏が抽選用につくった鉛筆をチェックした挙句ぴっぴ氏に「今回はあなたが(えんぴつを)振ったら?」と言われた結果の敗戦なので、何も言うことはありません。
エンドロール欲しかったなー…。「scat」には悪いけど、その場しのぎ感がありました。(ちなみにscat自体は大好きです)

手帳になんとなく指名した楽曲たちを分類分けしながら進めていたんですけど、
私は「scat」は「ヘチマの花」「エトランゼ」と同分類にしました。というのも、この二曲は自分の中では、
ヘビーな楽曲が続いた後とかに少しアルバムの方向をずらすために必要な鍵のような役割があるんです。
例えば「ヘチマの花」の前は、ハードロック(長めの激しい曲。聞き手の体力を使うような曲)とか、「エトランゼ」は奇妙なロックの合間にポンっと入れよう、とか。
「scat」も鍵であることには変わりないんですけど、同時にエンジンのような機能も備わっているのでどうしようかなと

実際は、ドラフト会議中ここまで言語化して考えられているわけではないですが、感覚的にはこんな感じなんです。
まあ、順番についてはのちに考えよう、と思いました。

15th Album『醒めない』
発売日:2016/07/27
収録曲
01. 醒めない
02. みなと
03. 子グマ!子グマ!
04. コメット
05. ナサケモノ
06. グリーン
07. SJ
08. ハチの針
09. モニャモニャ
10. ガラク
11. ヒビスクス
12. ブチ
13. 雪風
14. こんにちは

■指名
むる猫BOY→ヒビスクス
ぴっぴ→グリーン→ガラク
S氏→グリーン

ここにきて、ぴっぴ氏とS氏がはじめての競合!
結果は、S氏が勝利し、「グリーン」を獲得。ぴっぴ氏は、「粟、稗、コーリャンと名もない草木を愛する草野さんしか書けないフレーズでお馴染み
「ガラクタ」をチョイス。ここでもぴっぴ氏は、「ヒビスクス」を狙っていたらしく、私はもうええて、となりました。

ちなみに、今回のドラフトでは『オーロラになれなかった人のために』はミニアルバムで選べる少ないため、
『おるたな』はカバー曲が多いため、対象から外しています。自分はそのルールを忘れて、「ラクガキ王国を手帳にメモしていました。
「ガラクタ」とのバディがぴったりな、暴れん坊のミニカーみたいな可愛い曲ですよね。

で、へんてこで、どちらかといえばミニマムなロックで全体を覆いつつ、聴かせどころはスケール感のある楽曲で一発で仕留めるというアルバムにしたかったので、
今回は大好きな「ハチの針」を獲りたい衝動を抑えて「ヒビスクス」を選びました。ピアノ・イントロも欲しかったです。
分類としては「8823」、獲らなかったけど「ロビンソン」とかも同じですね。「8823」・「ヒビスクス」、そしてもう一つのスター選手を次に獲る気でいます。

16th Album『見っけ』
発売日:2019/10/09
収録曲
01. 見っけ
02. 優しいあの子
03. ありがとさん
04. ラジオデイズ
05. 花と虫
06. ブービー
07. 快速
08. YM71D
09. はぐれ狼
10. まがった僕のしっぽ
11. 初夏の日
12. ヤマブキ

指名
むる猫BOY→まがった僕のしっぽ→初夏の日
ぴっぴ→まがった僕のしっぽ
S氏→YM71D

もうええて!!!!!!(再)
5回目の競合、もちろん(?)引き当てたのはぴっぴ氏。意味が分からない。確率でいえば3パーセントくらい?

「まがった僕のしっぽ」は特徴的なフルートのイントロから入り、ゆったりと広がるダイナミックなサビ…と思いきや、突如ゴリゴリのビートロックに変貌する驚きの構成で、初めて聞いたときたまげました。
このプログレな曲も「トンガリ95」のように、スピッツそのものを表している、そんな感じを受けます。
奇をてらっているようで、つくりこまれたサビの歌詞。突飛なようで、やはり丁寧なんですよね。ちょっと引用します。


 例えどんな形でも想像しなかった色でも
 この胸で受け止めたいし喚起で吼えてみたい 
 誤解で飛びかう石に 砕かれるかもしんないけど
 夜明けに撫でられる時の ぬくもりに浸りたい

 勝ち上がるためだけにマシュマロ我慢するような
 せまい籠の中から お花畑嗤うような
 そんなヤツにはなりたくない 優秀で清潔な地図に
 禁じ手の絵を描ききって 楽しげに果てたい


「~したい」で終わるねじれた願いの表現が、秀逸ですよね。これこそ私がスピッツを聴き続ける理由なんです。
前半・中盤・後半の目玉曲として「8823」「ヒビスクス」「まがった僕のしっぽ」を考えていました。だがしかし、現実は厳しい。大誤算。

そんな中、S氏はエロティカルで軽やかなスピッツAORYM71D」を単独指名。これも代えがたい存在で指名したくなる曲です。
私は、疲れたので『初夏の日』を選びました。
アコースティックギターが映える曲が一つ欲しかったんですよね。「ジュテーム?」「海を見に行こう」も楽曲的には欲しかったかな。


Special Album『花鳥風月+』
発売日:2021/09/15
収録曲
01. 流れ星
02. 愛のしるし
03. スピカ
04. 旅人
05. 俺のすべて
06. 猫になりたい
07. 心の底から
08. マーメイド
09. コスモス
10. 野生のチューリップ
11. 鳥になって
12. ヒバリのこころ
13. トゲトゲの木
14. 353号線のうた
15. 恋のうた
16. おっぱい
17. 死にもの狂いのカゲロウを見ていた

■指名
むる猫BOY→スピカ
ぴっぴ→コスモス→マーメイド
S氏→コスモス

豊かな彩りを極力排し、無機質でラディカルなスピッツ像を構築しようとやってきましたが
最後はぴっぴ・S氏チームのあでやかさにも惹かれて、一曲入れようと「スピカ」をいれました。

欲しかった「まがった僕のしっぽ」よりも、ある意味で真のスター・プレイヤーです。
ほとんど曲順を意識できずに指名を進めてきましたが、締めくくりはスピカになるのかなあと何となく思っていました。

そして、初めてのぴっぴ×S氏の競合!!!結果は、S氏が「コスモス」を獲得し、
煌びやかな世界に浮遊感と死の臭いをまぶしました。

ぴっぴ氏は、コスモスと似た曲を入れることは不可能と判断し、コスモスの対極に真逆に位置するお気楽な「マーメイド」をチョイス。痺れます。


17th Album『ひみつスタジオ』
発売日:2023/05/17
収録曲
01. i-O(修理のうた)
02. 跳べ
03. 大好物
04. 美しい鰭
05. さびしくなかった
06. オバケのロックバンド
07. 手鞠
08. 未来未来
09. 紫の夜を越えて
10. Sandie
11. ときめきpart1
12. 讃歌
13. めぐりめぐって

■指名
むる猫BOY→未来未来
ぴっぴ→紫の夜を越えて
S氏→Sandie

ぱんぱかぱ~ん!これにて終了しました。

-----------------------------------------------------

終演 0:00

開演が20:00だったので、4時間ぶっ続けで会議をやっていたことになります。
その間、私はハイボールを4杯飲み、ぴっぴ氏は煙草を5本吸い、S氏はラーメンをすすりました。
さて、ここから順番決めだ…と絶望していましたが、
なんとS氏はある程度順番を定めながら選んでいたらしく、既にほぼ出来上がっている状態。流石でした。


【むる猫Boyプレイリストのリンク】

open.spotify.com


【ぴっぴプレイリストのリンク】

open.spotify.com

【S氏プレイリストのリンク】

open.spotify.com


以上、お読みいただきありがとうございました~!
次はもう少し規模を縮小してやろうと思います。

#スピッツ
#スピッツドラフト会議
#すぴどら

スピッツドラフト会議2023(前半)

ルール
スピッツが発売したオリジナルアルバム17枚+スペシャルアルバム2枚(『色々衣』『花鳥風月+』の中から、曲を指名・獲得し、全19曲の魅力的なアルバムをつくる
・曲の指名競争は、同じアルバム内から行われる。まずは、1stアルバム『スピッツ収録の12曲より参加者は曲を指名し、競合があれば抽選する。スピッツ』の獲得曲が定まったら、次は2ndアルバム『名前をつけてやる』の指名に進み、次は3rd~という流れで発売順に曲を定めていく。
NPB主催の一般的なドラフト会議では、ドラフト一巡目は指名競合すると抽選となり、二巡目以降はウェーバー制(ウェーバー制とは、最下位球団から順に選手を指名できるシステム)が適用されるが本ドラフト会議ではウェーバー制又は逆ウェーバー制を適用しない。アルバムごとに指名、重複したら抽選を行い、これを計19回繰り返す。要は、ドラフト1巡目の指名を19回やっているのと同じである。

使用ツール
https://online-draft.vercel.app/(オンラインドラフト会議)
えんぴつ(参加者の氏名を書いている。抽選用)

参加者
1,むる猫BOY
…ブログの書き手。小学生の時からスピッツを聴き始め、気が付けば25年の会社員。
 参加者の中で最もスピッツを聴いているはず。
 好きなアルバムは『スピッツ』。

2, PIPPI CHANCE(ぴっぴ)
サザンオールスターズショパンを愛する女性。現代詩の選考委員をやっている。
 スピッツも幼少期より聞いていたが、聞き込んだアルバムと全く聞いていないアルバムがある。
 参加者の中では「スピッツ初心者」に位置する。
 好きなアルバムは『三日月ロック』 

3, S氏
…京大出身の頭脳明晰なスピッツ・ファン。
 ロックに留まらず幅広く音楽をたしなみ、某有名研究機関で生物学の研究をしている。今回リモート参加。好きなアルバムは『ハチミツ』。

表記
・アルバム名は『』、楽曲名は「」で記述した。
・楽曲情報は公式サイト(https://spitz-web.com/discography/category/album/)より引用。


スピッツドラフト会議 開演
(20:00~)

1st Album『スピッツ
発売日:1991/03/25
収録曲
01. ニノウデの世界
02. 海とピンク
03. ビー玉
04. 五千光年の夢
05. 月に帰る
06. テレビ
07. タンポポ
08. 死神の岬へ
09. トンビ飛べなかった
10. 夏の魔物
11. うめぼし
12. ヒバリのこころ

■指名
むる猫BOY→テレビ
ぴっぴ→月に帰る
S氏→夏の魔物

ルールを基に始めたものの、参加者は皆初めてドラフトに臨むため、まだ「おそるおそる」の雰囲気。
私(ムル猫BOY)の初指名は、「テレビ」。
この時点では、方針らしきものはほとんど確立していない。
ただ、全19曲の壮大なアルバムとなるため、
アルバムとしての聞かせどころをつくること、そして代えが効かないような曲は早めにほしいな~と思っていた。

スピッツ初心者、ぴっぴ氏は「月に帰る」を指名。周りから「おぉ~」という歓声が上がった気もする。
長いアルバムの中で、方向性を変えたり、起点となったり、いろいろなことが出来そうな曲。
アルバムが物語性を獲得しうる、そんな気配が満ちている。

頭脳明晰なS氏は「夏の魔物」を指名。
非常に固い手。うら寂しさ、疾走感、バンドサウンドの一体感を備えて曲単位のパワーがあるし、物語性もある。
アルバム内の音楽的ピークをつくる起爆装置としても、ピーク後の余韻が残るなかに配置しても面白い。

競合は無く、3人とも単独指名に成功。
この時点では、まだ方法論が全くない状態なので、皆頭に「?」が浮かんでいるようなふわふわとした雰囲気。
思えばこのころは平和だった。


2nd Album『名前をつけてやる』
発売日:1991/11/25
収録曲
01. ウサギのバイク
02. 日曜日
03. 名前をつけてやる
04. 鈴虫を飼う
05. ミーコとギター
06. プール
07. 胸に咲いた黄色い花
08. 待ちあわせ
09. あわ
10. 恋のうた
11. 魔女旅に出る

■指名
むる猫BOY→待ち合わせ
ぴっぴ→プール
S氏→魔女旅に出る

1曲目の指名が終わり、どことなく各人がその楽曲との相性や親和性みたいなものを、手探りの中考慮して指名する。

私は「テレビ」のインパクトに負けないよう、異世界に突入したようなギターイントロが印象的な短いビートパンク・ナンバー「待ち合わせ」をチョイス。

ぴっぴ氏はギター・ベース・ドラム・ボーカルが完璧に調和した名曲「プール」で世界観を構築し、
S氏は藤井聡太竜王も大好きな、アルバムのラストを飾る『魔女旅に出る』を『夏の魔物』とかぶせ(?)"魔"閥指名する。


3rd Album『惑星のかけら』
発売日:1992/09/26
収録曲
01. 惑星(ほし)のかけら
02. ハニーハニー
03. 僕の天使マリ
04. オーバードライブ
05. アパート
06. シュラフ
07. 白い炎
08. 波のり
09. 日なたの窓に憧れて
10. ローランダー、空へ
11. リコシェ

■指名
むる猫BOY→惑星のかけら
ぴっぴ→ローランダー、空へ
S氏→僕の天使マリ

スピッツが一般的な知名度を獲得する前のいわゆる初期三部作の指名が完結。

私は常々、本作収録の「アパート」をマイ・フェイバリットとして挙げ、図らずとも指名を公言し、他者を牽制するかのような形を取ってしまっていたが、
蓋を開ければ誰も「アパート」を指名していない。こんなところにも「好きな曲の寄せ集めではなく一つのアルバムをつくる」というドラフトの本懐が見て取れる。

ぴっぴ氏は、およそ初心者とは思えない「ローランダー、空へ」の指名。荒廃した世界で理想郷が脳裏をかすめるような、せつないバラードロックで「月に帰る」との相性もよさそうだ。

S氏はカントリー調の軽快な佳曲「僕の天使マリ」を指名し、魔女の次は天使を収集していく。私はタイトルナンバー「惑星のかけら」を無事獲得。アルバムの一つの山場として配置する予定である。


4th Album『Crispy!』
発売日:1993/09/26
収録曲
01. クリスピー
02. 夏が終わる
03. 裸のままで
04. 君が思い出になる前に
05. ドルフィン・ラヴ
06. 夢じゃない
07. 君だけを
08. タイムトラベラー
09. 多摩川
10. 黒い翼

■指名
むる猫BOY→夢じゃない→君だけを
ぴっぴ→夢じゃない
S氏→タイムトラベラー

スピッツがはじめて商業的な成功を意識したとされる4thアルバム「クリスピー」で、はじめての競合!
結果、えんぴつ転がし抽選により、ぴっぴ氏が獲得。

『夢じゃない』の重複は、スピッツ好き芸能人でお馴染みのハライチ・岩井勇気氏が先日ラジオで結婚を報告し、そのラジオに岩井氏の母親が初めてリクエストした曲が『夢じゃない』であったことから、
その話題と共に参加者全員が近々で聴いていた、という事情もあるかもしれない。

抽選に敗れた私は代替案として『君だけを』を指名。

5th Album『空の飛び方』
発売日:1994/09/21
収録曲
01. たまご
02. スパイダー
03. 空も飛べるはず(Album Version)
04. 迷子の兵隊
05. 恋は夕暮れ
06. 不死身のビーナス
07. ラズベリー
08. ヘチマの花
09. ベビーフェイス(Album Version)
10. 青い車(Album Version)
11. サンシャイン

■指名
むる猫BOY→迷子の兵隊→ヘチマの花
ぴっぴ→迷子の兵隊
S氏→たまご

連続で指名競合。えんぴつ抽選のうえ、またもや、ぴっぴ氏が『迷子の兵隊』を獲得。
氏曰く「迷子なのに、いきなりイントロなしで歌い出すところに魅力を感じる」。

この「迷子の兵隊」は自分の中では代えがたい曲で、非常に悔しかった。
何となく、「テレビ」を初っ端に獲得し、それこそチャンネルをチャカチャカ変えるようなイメージで、
奇妙なロックが入れ替わり立ち代わり現れるアルバムにしようかなと考え始めていたから、待ったなしで動き始める本曲はぴったりだったのだ。

迷った挙句、あえて対照的な寺本りえ子氏とのデュエット曲「ヘチマの花」を指名する。奇妙なロックたちの間に挟み込み、
混沌の中で聞き手を安心させるオアシスのような時間をつくろうという考えからだ。

S氏は、独自路線的にミドル~中早テンポの煌めいた楽曲を容赦なく乱獲し、色で言えば暖色系で固めている印象。おそらく後半に冷たい色味・反対色、あるいは無色めいた楽曲を指名するのでは?と推測する。
ぴっぴ氏のチョイスは、多岐にわたっていて、その上で過去・現在・未来の時間軸を意識しているようなところもあり不気味である。

6th Album『ハチミツ』
発売日:1995/09/20
収録曲
01. ハチミツ
02. 涙がキラリ☆
03. 歩き出せ、クローバー
04. ルナルナ
05. 愛のことば
06. トンガリ'95
07. あじさい通り
08. ロビンソン
09. Y
10. グラスホッパー
11. 君と暮らせたら

■指名
むる猫BOY→トンガリ'95
ぴっぴ→Y
S氏→愛のことば

二回抽選を外したむる猫BOYこと私は、本来の?趣旨を思い出そうと、
手帳に「奇妙 & Cool」なぞと書き込み、それを踏まえて「トンガリ'95」を指名する。
ドイツ語でSpitzは”尖った”の意であり、「トンガリ'95」=スピッツのテーマソング的立ち位置だと認識している。
ただ、もしも「迷子の兵隊」を獲得できていれば、「ロビンソン」を指名したかもしれない。
「迷子の兵隊」も「トンガリ'95」もサビのリフレインが印象的で、ダブるので。

ぴっぴ氏は、まるで夢の中にいるような幻想的なナンバー「Y」を獲得。彼女は兼ねてより「Y」好きを公言していたので、
なんだか囲い込みに近いものもある。S氏は、名曲「愛のことば」で楽曲的な煌めきはそのままに、やや陰りを入れ、チームの質を上げてくる。
この辺で、「単純に好きな楽曲を入れるのも大事だよね」とぴっぴ氏。確かにそうだ。

んで書いてて初めて知ったんですけど、3~6枚目は、ほぼほぼ同じ時期(9月後半)に1年置きでアルバムをリリースしているんですね。
すごいペースだ。しかもどんどん楽曲の質が上がっている。商業的な成功もおさめ、草野さんの手がが止まらない時期なんだろうなあ。


7th Album『インディゴ地平線
発売日:1996/10/23
収録曲
01. 花泥棒
02. 初恋クレイジー
03. インディゴ地平線
04. 渚
05. ハヤテ
06. ナナヘの気持ち
07. 虹を越えて
08. バニーガール
09. ほうき星
10. マフラーマン
11. 夕陽が笑う、君も笑う
12. チェリー

■指名
むる猫BOY→マフラーマン
ぴっぴ→インディゴ地平線
S氏→バニーガール

ぴっぴ氏は、本アルバムを通して聴いたことがなく、曲をその場で聴きながらドラフトに臨む。
その限られた時間の中で、力強い静けさを持つタイトルナンバー「インディゴ地平線」を獲得したのは敵ながらあっぱれ。

S氏は、死をまとわせつつ疾走する「バニーガール」で煌めきをさらに強化しつつ、魔女・天使・コスプレイヤーと幻獣図鑑の更新にいそしむ。
ここで、「初恋クレイジー」など選んだらお里が知れるな、とかなり生意気なことを思っていたのだが、彼はそうはしなかった。

私は、単独指名確実と思われる「マフラーマン」を指名。(ぴっぴ氏はこの曲を知らないし、S氏の指名傾向と異なるから)テレビに映し出されるスピッツ的戦隊ヒーローだ。
遠くに見える地平線からバイクで駆けつけてきたかのようなクレッシェンドのイントロもドラマ性を感じるし、是非とも欲しかった一曲。

8th Album『フェイクファー』
発売日:1998/03/25
収録曲
01. エトランゼ
02. センチメンタル
03. 冷たい頬
04. 運命の人(Album Version)
05. 仲良し
06. 楓
07. スーパーノヴァ
08. ただ春を待つ
09. 謝々!
10. ウィリー
11. スカーレット(Album Mix)
12. フェイクファー

■指名
むる猫BOY→エトランゼ
ぴっぴ→スーパーノヴァ
S氏→仲良し

ぴっぴ氏指名の「スーパーノヴァ」って、なんかAKIRAの世界観を連想するんですよね。
それもあってチーム全体からSFチックな印象を受ける。うまくいけばガラス細工のように精巧な美を放ちそうだけど、
少し間違えると崩れる可能性もある。その諸刃の剣感が魅力的である。

S氏の指名は、スタバのフラペチーノに角砂糖をぶち込むような振り切り方で、それはそれで好感を持ち始めた。
バーチャル・リアリティーの如き理想郷でずぶずぶ溺れていくようなアルバムになりそうだが、
溺れた先にどうなるのか、夢の中で夢を見るような無限回郎に誘ってゆくのか、息継ぎのため水中から岸辺に上がらせるのか、あるいは。

9th Album『ハヤブサ
収録曲
01. 今
02. 放浪カモメはどこまでも(album mix)
03. いろは
04. さらばユニヴァース
05. 甘い手
06. Holiday
07. 8823
08. 宇宙虫
09. ハートが帰らない
10. ホタル
11. メモリーズ・カスタム
12. 俺の赤い星
13. ジュテーム?
14. アカネ

■指名
むる猫BOY→8823
ぴっぴ→アカネ
S氏→ホタル

楽曲のマスタリング作業をアメリカで行った鋭利なサウンドが刺激的な本作から、私はタイトル・ナンバー『8823』(ハヤブサを指名。
この単独指名はデカすぎる。ヘンテコ・ロックを集めていたが、やはりアルバムにおいて「聴かせどころ」が欲しい。
『空の飛び方』あたりに指名から、8823に目をつけていたので、かなりうれしかった。

ぴっぴ氏は、初期から中期へ移行する象徴のようなナンバーと評しつつ「アカネ」を指名。

S氏は、ぴっぴ氏お気に入りの「ホタル」に競合覚悟で特攻し、結果こちらも単独指名。
このあたりで、チームの方向性が一気に明るみになる。


10th Album『三日月ロック』
発売日:2002/09/11
収録曲
01. 夜を駆ける
02. 水色の街
03. さわって・変わって
04. ミカンズのテーマ
05. ババロア
06. ローテク・ロマンティカ
07. ハネモノ
08. 海を見に行こう
09. エスカルゴ
10. 遥か(album mix)
11. ガーベラ
12. 旅の途中
13. けもの道

■指名
むる猫BOY→ババロア→ローテク・ロマンティカ
ぴっぴ→ババロア
S氏→さわって・変わって

このあたりで自分が思ったのは、「夜」とか「海」とか情景が浮かぶような単語がタイトルに入っていると、
アルバム全体のムードががらっと変わってしまうということ。
だから、「夜を駆ける」「海へ見に行こう」は楽曲的には唯一無二のものがあるし入れたかったが、避けるほかなかった。
あの「夜を駆ける」に誰もタッチしなかったのは、そんな理由なんじゃないかなあと思います。

だから私は珍しく打ち込みが使用され、無機質な印象も持つ「ババロア」も欲しかったんだけど、どっちみち、ぴっぴ氏に獲られていました。
色々と悩んだ末に、性格は違えど「ババロア」の同期(?)のような「ローテク・ロマンティカ」を指名する。
こちらの方が、スケールは小さいけど、ミニマムできびきびと動き回れるし、自軍には合っていると判断。

S氏は、「さわって・変わって」を、被ることなく、のびのびと指名。
しかし、のちに判明するのですがこの曲をキー・プレーヤーとして考えていたらしく、一安心していたとの旨。

 

〜後半へ続く〜

The World Upside Down(ディズニー映画『ノートルダムの鐘』について)

映画の中で登場人物たちが歌い踊り始めると気分が悪くなる。

思いの丈を歌や踊りで表現され、「World is beautiful」みたいな顔をされると、どうにもげんなりしてしまう。美しい男女や可愛らしい小動物や、目玉をつけたカップソーサラーが歌い踊り始めると、「そんなことは現実では起こらない」と感じて、混乱する。ウォッカを飲んで悪酔したような気分だ。
そういった映画では、現実では起こりえないことを映し出すことにより、現実を引っ張りだしているのだから、俺の鑑賞態度が間違っているのは明らかなのだけど、それでも気が悪くなるんだから仕方ない。

しかし、生きているとディズニー映画を観る状況がこんな俺にも定期的に訪れる。昨日の夜もそうだった。「ファイトクラブ」のようにディズニーを支持する人間は世界中にたくさんいるのだ。しかも、真っ当に愛されて。
俺は、「The Smiths解散のニュースに動揺を隠せずレコードショップに駆け込む少女を描いた映画」が観たかったが、家の中にもディズニーへの愛は行き渡っている。妻の推奨により『ノートルダムの鐘』という映画を観ることになった。

「冒頭15分だけでいいから見て」と妻が言う。俺は神妙な面持ちでこう答えた。

「本当に15分だけならね。映画の盛り上がりに関わらず、きっかり15分。それ以上は、ない。ディズニー映画を観ると胃痛がしてくるんだ。ディズニー映画が悪いわけじゃないよ。それは体質の問題なんだ。白菜を食べられない人に、いくら白菜漬けのおいしさを伝えても仕方ないだろ?だから15分ね。ここから先の展開が面白いんだよね、とか13分超えたあたりでほのめかしてくるのもやめてね。月曜日の退社後って、1週間のうちで一番疲れている時だからさ。シャワーとかも浴びたいし」
妻は「いいよ」とあっけなく了承した。

 

約90分後、エンドロールを観ながら俺はだいたい以下のようなことを思った。

ノートルダムの鐘』は威風堂々とした格好いい映画だった。
冒頭、中世のパリの街並みを這うように進む低いアングルから、カメラが上がって行って、屹立するノートルダム大聖堂が現れたときの、気高さをたたえた迫力に心を掴まれた。

鐘撞き男カジモド、最高裁判事のフロロー、護衛隊のフィーバス隊長という三人の男達が追いかけるジプシーの踊り子エスメランダの、とてつもない魅力。(ディズニー屈指のヒロインだと思う)。
主要人物それぞれのキャラクター造形もさることながら、エスメランダを中心とした関係性が見事としか言えない。

特に、愚者の祭りを背景としたカーニバル「ジプシー・ターヴィ」の場面は圧巻。
醜悪な者が主役になれるという逆転現象により、エスメランダに手招かれながら、大聖堂に籠っていた背むし男・カジモドにスポットライトが当たる。
そのイベントの特別感を味わいながら、主要人物たちが一堂に会し、三人の男たちがエスメランダに特別な感情を抱くきっかけも描かれていて、かつ、カジモドが外の世界の豊かさを知りながらも心に傷を負い、フロローの怒りも買ってしまうというとんでもない場面となっている。
主要人物たちの様々な種類の感情が、たえまなく、自然に、そして楽しく描かれるその手法には舌を巻いた。フロローの徹底的な悪も良い。

 

「もう15分すぎるね」という妻の言葉を無視し、
ノートルダム大聖堂のように堅牢なこの骨太の物語にくぎ付けとなった。

「風邪をひいても世界観は変わる。ゆえに世界観とは風邪の症状に過ぎない」とチェーホフは言ったけど、人の好みもそうかもね。お勧めです。

 

www.disney.co.jp

 

スピッツ『ひみつスタジオ』

2023/05/17

仕事をして、すべてが馬鹿らしくもう生産性や人間関係なんてどうでもいいな、と思いながら

合間合間に、何かの抜け道のように、スピッツの新譜「ひみつスタジオ」を聴いていた。

朝の通勤時にカーステで、昼休みに業務端末のイヤホンで、会議中に脳内で、帰りのカーステで、帰宅後にBluetoothスピーカーで「ひみつスタジオ」を聴いた。

 


蛍光イエローの石ころ拾った(『未来未来』)

 


委員会の承認を待てば業務は一向に進まず、自ら動けば他部署のお偉方からストップが入り、同年代にヒアリングすればその上長に話がいく。誠実に仕事と向き合えば心は消耗し、程々にやると爪が甘くなりミスをする。酒を飲むと酔う。本音を言えば恨みを買う。言わなければ聞き出される。適当にあしらうと見抜かれる。思い入れのない相槌を打てば、自分が自分を偽ってすり減らす感触だけが残っていく。

 


眼差しに溶かされたのは 不覚でした(「さびしくなかった」)

 


性格も悪く、目つきも悪い。人の過ちは執拗に責め立てるが、自らは平気で人を裏切る。優しい人を見つけるとたぶらかす。追い回す。その影が完全に見えなくなると、別の優しい人を捜す。外面は良くても、本腰入れて話せば化けの皮は剥がれる。剥がされた後はだらしなく棒立ちになる。思考が停止すると、思考が停止したとためらわず他人へ伝え許しを乞う。「正直」「実直」「素直」。自分の唯一のファンクラブ会員である自分は、自分の性格をそう言い換えて毎日をやり過ごすものの、その実態は抗うことが面倒で怠けているだけである。世界に問いを立てることが出来ないため、平穏を標榜し安直に日々を送っているのだ。

 


ここは地獄ではないんだよ 優しい人になりたいよね(「跳べ」)

 


自分が表現者になれないので、表現をしているすべての人間に劣等感がある。どんなに良い映画を見ても、本を読んでも、音楽を聞いても、面白いお笑いを見ても、「結局、そうはいってもあなたは表現者なんですよね?」と勝手に食ってかかっている。私は聞き手。あなたは話し手。しかしながら、そんな卑屈な心情を何かの原動力にもユーモアにも生きる理由にも特に変換することはなく、タバコの火をつけたり消したりしながら、思考停止し一人でぶつぶつごちている。その独り言を聞かざるを得ないのは飼い猫のムルである。ムルは私が帰宅すると、玄関で待っていて餌を欲しがって鳴く。餌をたいらげて満腹になると沈黙し自分の手足を上手に舐める。そして、しっぽをおっ立てて窓の外を眺める。

 


会うたびに苦しくて でもまた会いたくなるよ(「ときめきPart1」)

 


「自分は着実に、気狂い爺に近づいて行っている」と以前妻に打ち明けたら、妻は「もうなっている」と言った。そうか、俺はすでに齢33にして、気狂い爺になったんだ。ところで、気狂い爺である自分はすべての物事がうまくいけばいいと思っている。例えば、京都に住む麻平(あさだいら)君が北海道にいきたいと思ったら、ぜひ行ってほしいと思う。行きたいと言ったまま、ずっと行ってない。みたいな状況が、それが他人であっても見ていて嫌な時がある。もし「お金がなくて北海道には行けない」と麻平が困っているのなら、「はよお金を手に入れて行けや」と思う。そう、思う。思うのみ。私が神様だったら麻平にお金をあげたいと思うが、そんなお金はないので、そう思うことしかできない。そうやって、思うことしかできないのが居心地が悪くて仕方がない。居心地の悪さに耐えられないので、雑に解ったふりをしたり、洗い物をこなしたりして気持ちの悪さを早めに解消したくなる。問題や課題が立ち上がると、すぐに解決したくなる「解決病」患者の素質が自分にも備わっているのかと思うと、怖い。それに、現実ではお金に困っている人にお金をあげようとしても、何故かあげられなかったり受け取らないケースは多々ある。現実は「お金をあげる」「お金をもらうね、ありがとう」のおままごと的な平和は立ち行かなくなる。そうなると、単純なことしか考えられない自分は、まためくるめく思考停止のループに突入してしまう。

 


マニュアル通りにこなしてきたのに 動けなくなった心(『修理のうた』)

 


2018年頃に東京から故郷戻ってきたことをきっかけに私はランニングを始めた。走っていると、何も考えていなくても、とりあえず走っているので、思考停止で生きている私はわりと居心地がいいことを発見した。だって、なんにも考えてないくせに家で本読んでいてもバカみたいだから。頭のいい人やものを日頃考えている人は、読書しても居心地がいいかもしれないけど、読んだ側から穴の空いたばけつのように即座に文章を忘れていくし、読み違えるし、鰭も鮨と読むし。じゃあ考えなくてもいい本を読めば?と提案されるが、そんな本読む必要ない。それなら音楽聴いて僕は歩きたい。友達とくだらない話したり、コンビニのエクレアを食べる。どうして世界はこんなに思考や意義で満ちているかのように振る舞うのだろう?世界に向かって、もうコスプレはやめろ早くステージを降りろと言いたい気分で生きている。

 


ひとつでも幸せをバカなりに掴めた デコポンの甘さみたいじゃん(「めぐりめぐって」)

 


小学生2年生の頃に、母の運転する軽自動車のカーステレオから『空も飛べるはず』という歌を聴いて、はじめて歌詞カードを読み、「幼い微熱を下げられないまま」という歌い出しにたじろいだ。「幼い」と「微熱」が組み合わさるなんて。そんなことをしてもいいの??怒られないの??誤りじゃないの??衝撃だった。そこから自分も歌詞をかいたり曲をつくったり、文章を書いたり演劇をしたりもした。大学に入って3度留年し卒業して、就職したり退職したり結婚したりしていると気が付けば33歳。思えば、その間の約二十五年、ずっとスピッツを聞いてきた。

 


毒も癒しも真心込めて 君に聴かせるためだけに(『オバケのロックバンド』)

 


何故こんなに良い楽曲を生み出せるのだろう?その理由が知りたくて、スピッツのルーツを辿り、ブルーハーツを聴き、パンクロックというジャンルを知った。御三家の中では、クラッシュが多彩で好きだった。自分でもやってみたくなりギターを弾き始めると、ギターのいろんな音色を聞くのが楽しくなってきて、ブリットポップから入り、シューゲイザーグランジ、ツゥイーポップ,

ネオアコとがっつりハマった。結果、自分は粗いがさつなローファイのギターストロークに、きらきらの俗にいう角砂糖のようなアルペジオが重なって、ユーモアいっぱいに跳ね回るベースがあって、堅実なドラムがそれらを支えている、というような構図の四人編成バンドが大好きなのだと知ることができた。

 


しなやかでオリジナルなエナジーで 新宿によく似てる魔境 駆け抜けてく『Sandie』

 


新譜の1回目を聴いた感覚は、当然その1回目のみでしか味わうことができないので、これから何十年も聴くにつれて印象は変わってしまうから、その1回目の印象をここに閉じ込めるため、書く。

 


01『i-O 修理のうた』をパジャマのまま聴いたが、聴きながら、朝から精神が修復されていく実感があり、まだ一日は始まったばかりなのにな、と自分の現状が笑えた。通しで聞いたけど、この曲は謎に満ちてますよ。聞き込みたいです。

02『跳べ』はエネルギッシュでギュッとつまった音。『あわ』で「優しいひと やっぱりやだな』と歌っていたひねくれ者の彼らが何十年も経て「優しい人になりたいよね」と歌っているんだけど、その二つが相反したことを言っているようには感じない。勇気の出る強い歌詞だけど、ハードなクレーム対応のあと、社内の人から労いの言葉をかけられた時につい出てしまう本音のような、どこか「ぽろっと」感のあるサビの歌詞が良い。

「つまようじ」という小さな小さな単語から幕開ける03『大好物』は大ぶりの桃にかぶりついているような、こぼれた果汁まで美味しくいただけるような(?)幸福感。「君の大好きな物なら僕も多分明日には好き」というフレーズで接近したあとに、「そんなこと言う自分に笑えてくる」でスウェー・バックする、そのバランス感覚に惹かれる。

04『美しい鰭』は、名探偵コナンの予告編でサビだけ聴いていたけど、フルで聞くと、楽しい楽しいAメロ。ジャンプしたクジラがあげる水しぶきのようなドラムから、優雅に大海原を渡るようなギターフレーズにびっくり。この曲、最新のチェリー、って感じ。

05『さびしくなかった』。一番好きかも。「Holiday』や『ハヤブサ』で見せたような、逆説的な歌詞とこの淡々とした曲調が合わさって、聴きながらいろいろと個人的な思いを馳せてしまいそう。2、3、4と、映画「スティング」のような充実した内容の曲が続いていたので、この余白のある感じがいいです。「さびしくなかった君に会うまでは ひとりで食事する時も ひとりで灯り消す時も」最高ですね。

朝の通勤時に本作を聴いていたんですが、この06『オバケのロックバンド』で泣いてしまいました。理由はわかりません。演奏すること自体を歌っていたり、メンバー全員ボーカルだったり、ギターが粗めでカッコよかったり、色々あんのかもしれませんが、曲が持つ雰囲気なのかなって思います。「君に聴かせるためだけに」はややあざといけど、ずっと「君」へ歌ってきたスピッツが歌うので説得力が段違い。

この辺から、最近ぽいというか、07『手毬』と08『未来未来』はあえて挙げるなら、スカートっぽいなと思いました。スカート『暗礁』のイントロの感じと『未来未来』近しいなって。『手毬』の浮遊感のあるメロディがたまんないですね。春の日に散歩していたら風が吹いて、風にさらわれてそのまま宇宙旅行してしまったような、ロバート・F・ヤングの「たんぽぽ娘」的な甘いSFチックな印象をなぜか受けました。草野さんがアシモフ好きだという情報を、「スピッツ2」で知ったので勝手に連想してしまっただけかもしれませんが。

『未来未来』は、スピッツ好きな友達も「一番人気みたい」とツイッターの情報を教えてくれましたが、すごくかっこいいです。エッジの聴いたカッティング・ギターとスーパーボール並みに弾力のある田村さんのベース、崎山さんのタイトなドラムで始まって、アッテラ族の祭りで聞こえてくるようなヴォイスが。そこに冷凍都市のようなストロボ・ギター。ちょっとゲーム・チックだなって思いました。ワクワク感半端ないです、このイントロ。

09『紫の夜を越えて』先行シングルですね。静かな始まりから、ゆったりと体が持ち上がり、現在へ立ち向かっていくような頼もしい一曲。これは近年の楽曲傾向としても言えるんですが、繊細さと力強さを兼ね備えて、かつ現代を照射していますよね。ビシビシ気迫を感じられる強気な名刺曲です。

10『Sandie』シリアスの後はコメディ、緊張の後の緩和、サウナの後のオロポ、ではないけど、呑気でご機嫌なナンバー。昼休みにこれを聴いてたんですけど、午前中の仕事のストレスがふっとなくなったような一瞬が訪れたんですよね。「力抜いていこうよ」の直接的な一言では、絶対不可能な本当の力の抜き方に成功しました。肩軽くなりました。スーベニアの自転車的な立ち位置?

11『ときめきpart1』。作家の村上春樹さんは、文章で「ヤバい」は使えない、と言っていたけど、草野さんは使いました。普遍性の捉え方が違うのかもしれない。音楽家は瞬間の凍結に永遠性を見るのかも。歌詞においては、言葉がファジーでも楽曲によりニュアンスが補強されるから、「ヤバい」みたいなミラクル多義語を使用出来んのかもしんない。「恋のうた」や「恋する凡人」で生きる理由を恋するためと断言し、「コメット」では「恋するついでに人になった」と歌い上げた草野さん。このまま、ときめきと心中して欲しい。この曲も大好きです。

12『讃歌』は、ちらっと過去を振り向くのではなく、思い切り過去と相対し、その上で進んでいくっていう堂々とした態度の曲って印象。重めの曲、暗めの曲はそのまま思う存分堕ちていこう!の姿勢を貫く楽曲が多かったけど、今はやはり前を向くっていう姿勢ですね。こう言う曲は、いちいち共感すんじゃなくて、信頼して体を預けるように聴きたい。

13『めぐりめぐって』はまさに「ひみつスタジオ」のような一曲。絵本を開いていたら、ぐりとぐらがページから出てきてしまい部屋全体にホットケーキの香りが充満したかのような、そんな楽しさがありますね。「みなと」ぐらいから、歌う事・演奏する事自体をテーマに取り上げることに躊躇いがなくなったような。ファンとしては、嬉しい吹っ切れ方をスピッツはしてくれてますよね。

 


こんなところが、新譜を聞いた第一印象です。読んでくれた人、ありがとうございます。最高のアルバムですね!

 

思い出に浸るのがやめられない

ケイト・エリザベス・ラッセルの『ダーク・ヴァネッサ』という小説を読んだ。
いったいどんな話?と訊かれたら、寄宿学校の生徒と教師が、恋に落ちる話!と答えてしまいそうにもなるが、それは全くの、全くの間違いで、実際は、十五歳の赤毛の女の子と四十二歳の大柄の男性教員が男女の関係に至る話である。もっと噛み砕くと、この物語はラブストーリーではなくサスペンスホラーに分類されると言えるだろう。
ただ複雑なのは、十五歳の女の子ヴァネッサと四十二歳の男性教員ストレインの当人らにとっては、その逢瀬を重ねる日々は輝かしくもあったという点だ。実際に、文学が好きで作文が得意なヴァネッサは文芸部の顧問であるストレイン先生の知的で余裕のある振る舞いに惹かれていた。

しかし、周りの学校関係者からすれば、二人の関係は気味悪く異様に映る。特にヴァネッサの両親からすれば、たまったものではない。ヴァネッサは母親との関係が悪かったけれども、(ストレインはそのことを当然知っていた)寄宿学校の退学が決まったあとの父が運転する車内の空気、そこに充満する果てしない負の感情は、容易に想像がつく。ストレインがいかに十五歳の児童に対し、巧みに接近し、2人の関係を口外しないよう関係を構築していったのかが丁寧に描写されているので、恐ろしくて仕方がない。
物語前半は、ストレイン先生の女生徒と男女関係に至るまでの、一見ロマンスの皮をかぶったその慎重かつ狡猾な手口を、ヴァネッサと共に追体験できる。彼のやり方は、ざっくり分けると以下3つのフローで行われる。

①生徒を褒めそやす(例:きみは感情知能指数が天才級に高く、神童のような文才があり、なんでも話せて信頼できる)②ナボコフのロリータを読ませて、年齢差のある恋愛への物珍しさを緩和させる ③信頼を獲得し相手の好意を感じ取ったタイミングで膝に軽く触れる
③を実行し、女生徒の反応を伺い、嫌がらなければ押し、明らかに嫌がっていれば引く、という寸法だ。仮に生徒から申し立てがあったとしても、「膝に触れてしまっただけ」で強引に押し通す。(もちろん申し立てなどしないようにする脅し文句をストレインは取り揃えているのだが)小児性愛者の彼は、表向きは表彰を受けるぐらい優秀で立派で信頼の厚い教師でもある性被害の実情を明るみにしたくない学校側の組織体制も問題がある。そして、当のヴァネッサは、ベッドで裸にされ苦しみながらも自分が性被害に遭っているとは認識できない。その状態は2017年の現在まで続く。表向きは、何も起こらない。何も起きていない。
「グルーミング」と言う言葉には、猿のノミ取りだけでなく、性的な目的を果たすため少女を手なづける方法、と言う意味があることを僕は本作で初めて知った。
ストレインのグルーミングは確立されている。生徒と毎日のように対面し、学業や対人関係や家族関係の悩みなどを聞けば、おそらく思春期の不安定な心など、3倍近く生きている彼にとって、ある程度は自在にコントロール出来るものなのだろう。

彼の殺し文句をいくつか引用する。

「ほら、きみの髪の色とそっくりだ」

「われわれは似た者同士なんだ、ヴァネッサ」

書くものを見ればわかる、きみはわたしと同じで、暗いロマンティストらしい。黒い翳のようなものに惹かれるんだ」

「いまなにをしたいかわかるかい」

「きみを大きなベッドに寝かせて布団を掛け、おやすみのキスをしてあげたいんだ」

「きみの人生にとって、好ましい存在でありたいんだ。振り返って懐かしく思い出してもらえるような。情けないほどきみに夢中で、それでも手を出すことはなく、最後まで紳士でいた、愉快な中年教師としてね」

「どうかしているな。こんなことを話すべきじゃないのに。きみに悪夢を見せることになる」

物語は、2004年の当時と2017年の現在が交互に語られ進んでゆく。僕が本作で一番惹かれるのは、2017年の成人したヴァネッサがいまだにストレインと連絡を取り合い、長電話を繰り返しているという設定と、その描写だ。

2人の長電話は、年老いたストレインにとっては、若く瑞々しいヴァネッサの肉体や、"ロマンス"に、耽溺できる時間であり、成人したヴァネッサにとっては、自分が一番誉めそやされ美しかった十五歳に戻してもらえる時間である。

#Me too運動がアメリカで拡大し、性被害者が声をあげ、映画関係者や著名人がどんどん訴えられていく中、ストレインもその例外ではなかった。かつての教え子テイラー・バーチがストレインとのやり取りをフェイスブックに投稿するとそれは瞬く間にシェアされ、投稿にはたくさんのグッドボタンと彼女を支持するコメントがついた。成人したヴァネッサは、職を転々とし、ホテルマンとして働きながらも、ゴミにまみれた部屋で自堕落な生活を送り、グリーフ・セラピーを受けながら過ごしている。2人は現在を生きることを半ば放棄し、過去の記憶にずぶずぶと浸ることから逃れられない。
現在の生活が上手くいかずに何もかも諦めたくなる夜に、自身の一番輝かしかった時期を浴室や布団の中で回想したことはありますか?僕はある。だから、この辺りのシーンには、共感も覚え、哀しかった。「禁断の恋愛」を取り扱う作品は映像作品含めて数多くあるが、本作はそれらの特徴である暗いロマンチシズムに現実を突きつけ、過去の過ちを美化することを許さない。内閣府の16歳から24歳の性被害に遭った女性を対象とした調査によると、その半数近くが自分の身に起きた事実を周りに伝えることが出来ないでいるらしい

ラストへの展開が、やや恣意的で強引な気はするけれども、続きが気になって、ページをめくる手が止まらなかった。ヴァネッサが恋愛に取り憑かれている状態の描写と、生活が乱れ心が荒んでいる状態の描写が特に優れていると思った。下巻の途中で、一時的に本書を紛失したときには続きが読みたすぎて自室を無駄に何往復もしてしまった。引力のある作品だ。

悲しみにひたるのがどんなに快感か、母はわかっていない。フィアナ・アップルを聴きながら何時間もハンモックに揺られているのは、幸せでいるより快適なのだ。(上巻、P25) 

 

 


www.youtube.com