周辺幻

沖の監視

思い出

 遠野光啓が故郷の青森で昏睡状態で発見されたのは、彼が上京七年目にして初めて東京で雪を見た日のことだった。彼がその夜に東京のアパートから徒歩で青森まで向かったのは、例えば出発が深夜だったので終電車がなかったとか退廃的な生活に反して健康優良児だった肉体の若さであるとかいくらかの理由を並べ立てられたが、特にその中で重要な理由を一つ挙げるとしたら、彼が久し振りに見る雪に故郷を思い出し感傷的になっていたことが大きいだろう。遠野が生まれた町は青森県内でも有数の豪雪地帯で、ホテルやスキー場が立ち並ぶ観光地とは、ほど遠い田舎町だった。山に囲まれた集落的なその町で、遠野は隣人の老夫婦に三味線を習い、軒先の二重玄関で衣服についた雪を払い落とし、全校生徒六名の小学校に通っていた。

 

 彼は今池袋のアパートにいて「在学中に取り組んだこと」を就職サイトのウェブエントリーシートに記入しようとして、手が止まっている状態である。なぜ書けないでいるのかと言うと、彼にはこの七年の記憶がほとんど連結していないからだ。フランス映画入門で熱く議論するゼミの学生達、春の運動公園で女の子と一緒にテニスをしてから交わったときの汗ばんだ裸体、高円寺の小さなライブハウスの薄暗い空間、いくらかの光景が映画のシーンのように鮮やかに浮かぶものの、記憶はあくまで点であり、それぞれの思い出は独立していた。一体、七年間何をしていたのだろう。学生達が卒業間近で行う自問自答を彼もまた遅ばせながら繰り返していた。在学中の七年間何をしていたか?答えは明白だ。彼は社会に出ることをためらい続けていたのだ。

 

 遠野が住む五帖一間のワンルームの部屋は、小さいながらさっぱりとしている。あるべきところに最低限の生活用品が置かれ、整頓されている。玄関脇の小さな靴箱には、黒の革靴とナイキのランニングシューズが収納され、部屋の隅に置かれたハンガーラックには一着のスーツと白い無地のワイシャツが二枚、黒のテーラードジャケットと白いマウンテンパーカがかけられている。ベランダへ通じる大きな窓を塞ぐようにシングルベッドが置かれ、ベッドの枕元側にはパソコンデスクが置かれている。彼は今そこでノートパソコンのスクリーンを見ながらキーボードに指だけ載せて何やら訝しげな表情を浮かべている。一年前は立教大学に入学してから買い求めた本やDVDやCDやエレキギターやポスターで壁一面は埋め尽くされていて、ところどころ隙間から見える壁はたばこの煙で黄ばんで変色していた。

 

 遠野は二週間前に出張買取業者を呼んで、部屋にあるほぼ全ての雑貨を処分した。買値がつかないものも、引き取らせ、回収できないものはごみに出した。彼は自分が何を読み、何を観て、何を聞いていたのかもよく思い出せない。

 講義にも出ず、一人部屋にいる間は膨大な時間があった、それは確かだ。しかし、その膨大な時間で思いついたように敢行される読書や映画鑑賞は、ほとんど内実を伴ってはいなかった。彼は思った。きっと、ある程度幼い頃に読書体験をしなければ、物語作品を感受できる豊かな心は育たないのだろう。「罪と罰」のラスコーリニコフが、老婆殺害のため下宿先の部屋から出口までの歩数を数えていたことは覚えているけれど、なぜ彼が殺人に至ったのか、殺人を犯したことでどのようにストーリーが走り出したのか分からない。分からないということは説明ができない。「罪と罰」の主人公の心象を映像化せよ、と言われても自分にはこの作品を台無しにすることしか出来ない。芸術の神様は、世間的に恵まれていない者にのみ微笑みを向けるものだ。留年生の僕に、偉大な作品を堪能できる資格はない。遠野はそう信じ込んだ。

 年下の大学生に混ざって最前列で講義を受け、卒業論文を書き、遅過ぎる就職活動をしながら最終学期を過ごしていた今日の彼はしばらく窓の外で降る雪に気がつかなかった。狭い部屋だったが、鉄筋コンクリート造りのこのアパートはエアコンを効かせると温かかった。 

 それでも彼はエントリーシートをパソコンで書いている途中、厚手のちゃんちゃんこを羽織り、あぐらをかいて膝の裏に足先を潜り込ませた。自分自身について考えることや話すことは決して苦ではなかったが、この七年間の無為は、どう自身を演出したところで限界があった。また、心から入りたいと思っていない企業へ向けて自己PR文を書くのは難儀な作業だ、と彼は思った。嘘を連ねてるのと変わらない。

 

 遠野光啓は、地元の県立高に進学した後、上京して立教大学芸術学部映像学科に入った。入学当初、名作映画を精力的に鑑賞しながら映像技術の変遷について縦横無尽に学んでいたが、映画について熱っぽく語る周りの雰囲気に嫌気が差し、一人で部屋にいる時間が増え、次第に授業に出なくなった。映像サークルやゼミで出会った同級生や後輩たちは卒業を迎え、知人と呼べる知人は周りに一切いなかった。交際したいくらかの女たちはおしなべて音信不通になっていたし、彼はアルバイトの経験がなかった。

 「自己PR」の箇所以外をなんとか埋め、遠野は伸びをして椅子から立ち上がり、電気ポッドで湯を沸かしインスタントコーヒーを淹れた。とうに夜半は過ぎた。池袋といっても駅からかなり離れた住宅街であるから、部屋の中はとても静かだ。湯を沸かすポッドの音は部屋中にけたたましく響き、遠野はその音を聞いて不機嫌になった。コーヒーをすすりながらデスクチェアに座り、両足をベッドに投げ出して毛布の下に入れてあたためながら、彼は引き出しから電卓を取り出して何やら計算を始めた。

 

 遠野は自身の大学の入学費用と年間の授業料、毎月の家賃と光熱費、すべて両親に支払わせている。私立大学に三年も留年するには、相応の確固とした費用がかかっていた。細かいところまでは正確にはじき出せなかったが、おおよそで計算したそれは信じがたい額だった。残りの必須取得単位も僅かになり、遅すぎる就職活動を始めた遠野はようやく生活の音を聞き、社会へ旅立とうとしていた。これまでの学生生活は、内的な問題について思う存分羽を伸ばして延々と悩んでいれば良かったが、これからは例えば生きる意味であるとか哲学する前に、前提として金を稼ぎ自立して生きていかねばならない。正月に帰省した時、もう学費を払う余裕はない、と母親に宣告を受けた。生活を一人で築いていかなければならない立場に初めてなろうとして、やっと自分に当てた両親の費用を明らかにする勇気を彼は持ったのかもしれない。自分の人生には一千五百万円以上の価値があるか?そんなものはない。が、この金と月日を無下にすることは出来ないと彼は思う。価値があったかどうかは彼がこれからどう生活していくかに掛かっている。

 三度計算を繰り返し、その数字の大きさに嫌な脂汗をかいた彼は羽織っていたちゃんちゃんこを脱ぎ、ベッドの奥のカーテンをめくり大きな窓を開け、夜の冷気を部屋に入れた。汗とヒーターの熱気で部屋はこもっていたから、外の空気はひんやりと気持ちよかった。ちらちらと粉雪が舞っては地面に降りていき、向かいのアパートの屋根と手すりに規則正しく積もっていた。ハンガーラックにかけられたまっさらな白のワイシャツが風で揺らいだ。

 開けた窓の向こうには奇妙な夜の景色が広がっていた。空全体がぼやけたオレンジ色に染まっていて、覆われた雲の隙間から月の光が斜めに降り注いでいた。光の線は風景というより謎の生き物みたいに動脈をたぎらせ、大げさに呼吸して空を振動させていた。星はなかったが、B級SF映画のラストシーンのような、チープな光の夜だった。

 

 七年間の大学生活をほとんどアパートで過ごしていた遠野の時間感覚は狂っている。今年こそ精力的に講義に出てレポートを書き学生の本分を全うしていたものの、まだその体内時計は本来の時刻を指し示してはいなかった。太陽が東の空に昇り始めるころ、朝日とともにベッドに潜り、太陽が西に沈む夕方にようやく起床していた。しかも彼はこの昼夜逆転の生活に、極めて意欲的に取り組んでいる節が多々見受けられたので、わずか一年に満たない本来の学生生活は、時差ボケの治療に取り組んでいるようなものだった。  

 遠野は覚醒の状態にあった。高校卒業してからの自分は、すべて間違っていたと確信した。遠野は見つめていた。オレンジ色の夜空と、自分の過去を。履歴書の経歴欄を埋めながら、小中高までの学生の記憶はこの夜空のように怪しくも鮮やかに輝いているのに、大学に入ってからの日々はモノクロでけむに巻かれて思い出せない。彼はベランダに出て、オレンジの夜空を仰いだ。ベランダにはふやけたサンダルが置かれていて、それを履きながら「ああ、こんなん買ったな」と独り言を漏らした。洗濯物は室内に干す習慣がこの何年かで確立されていたので、久しぶりに彼はベランダへ出た。

 

 おお、夜だ。

 

 細かな水蒸気が付着したサッシを掴み覗き込んだその眼下には、雪上を移動する二人の若い女が見えた。女の一人は両手を上げてゆっくりと回転しながら移動し、いかにも「私はいま雪の日を楽しんでいます」と自分自身に言い聞かせているように見えた。もう一人の女は、回転する友達を尻目にポケットに手を突っ込んでゆっくりと初雪に足跡をつけていた。こちらも回転女と違って露骨なアピールはないものの、「私はいま雪の日を楽しんでいます」を抑えたパターンで表現していることが見て取れた。サッシを掴んでいた遠野の手は冷えて懐かしい霜焼けの痛みを覚えた。あの派手な身なりは、英文科の二年だな。彼はそう決めつけて、満足した。彼は、演技をしている。三留の果てに大学卒業を控えた二十四歳の学生が、久しぶりの雪に感銘を受けた瞬間を誰かに演じてみせていた。

 

 ベランダから部屋に戻ると、彼は熱いシャワーを黙って浴びた。百円均一の店で売られているボトルに移したシャンプーで、髪の毛をゴシゴシと洗い、ボディーソープをつけた手で脇の下や足の裏や股間をまさぐった。気持ち良い、気持ち良い、身体を洗うことは気持ちが良い。犬ぞりの訓練のため、エスキモーの集落に居住していた日本人冒険家のことを思い出す。身体を洗う習慣がないエスキモーの人々に驚かれながら、冒険家が一ヶ月ぶりに寒さの中、身体を暑いタオルで拭いたときのリアルな快感を思う。風呂場を出て、髪を乾かし、たばこの煙が染み込んだパジャマに着替えて一服する。ぼーっとしていると、時刻は0時1分を指していた。また、日がまたいだ。今日という一日が明日に変換される。それは便宜上の変換ではない。遠野の切実な問題になぞらえると、卒業論文の提出日と卒業式がまた一日近づいたことを指している。

 

 遠野の目は冴えてなかなか寝付けなかった。眠りに落ちる手段として、彼はマスターベーションを採用している。しかし、この日はうまくいかなかった。高校時代の性体験を思い出し、自慰にふけって睡魔を待つも、気分が悪くなる一方だった。DVDプレイヤーとテレビまで断捨離したのは、やはりやりすぎだったのかもしれない。想像のストックが尽きてきて、射精こそしたものの、胃がせり上がり軽い頭痛がして来て、目覚まし時計の針の音が気になり始めた。

 

 救済として、枕元にあるドストエフスキーの小説を手にとる。ほぼ全ての本とCDとDVDディスクを売り尽くした遠野だったが、新潮社文庫の『カラマーゾフの兄弟』だけは、処分せずに残して置いていた。しかし、内容がさっぱり頭に入って来ない。当たり前だ。彼は眠りに落ちて延長した今日の時間を終わらせたいだけだ。そもそも彼ははなから文章など読む気はなかった。部屋に残した古典文学を手に取り、ページをめくっていただけだ。授業に出なくなったのは、周りの奴らに馴染めなくなったからではない、現実を放棄することで、架空の世界に入り込もうとしたからだ。

 ただ、自分に充てられた費用を計算し、卒業を控えた崖っぷちの今、遠野はこれまでの生活を否定し多少なり築いていた思想のようなものも全て否定していたから、架空の世界なんてどうでもいいと彼は実感していた。ドストエフスキーの小説が頭に入ってこないのは、仕方ないと思った。

 

 大地を踏みしめて、現実の世界を力強く歩いて生きたい。甘い停滞を捨て去り、厳しいリアルな道を踏みしめていかなければならない、このときの彼の本心はそういうものだった。概して、この年代の男子は何かを得るには何かを捨て去らなければならないという、わりに慎ましい観念に身を捧げることがあるが、言い換えれば、何かを捨てさえしてしまえば何かを手に入れられるという妄念に取り憑かれてしまっていると言える。

 

 遠野はイヤホンが挿さったスマートフォンと靴を持ち出し、遠野はまた部屋からベランダへと出た。音楽は全てパソコンに取り込み、CDは処分していた。

「こんばんは、ラディッシュです。今日は楽しんでいってください」

 雪降るオレンジの夜空を見ながら、ベランダで一人つぶやくと、スマートフォンのプレイリストの再生ボタンを押し最大の音量になるよう操作した。コンサートの曲順はあらかた決まっている。野外フェスティバルに新人として参戦した時の十五分の尺なら短めの曲を続けて四曲。対バン形式のライブハウスの三十分なら五曲。ワンマンライブを開いた時の二時間の尺なら二十二曲。

 今夜、二十八歳になった遠野はドラマの主題歌になったヒットナンバーを引っさげて地元青森で凱旋ライブを行う。町の公民館内にある体育館は、前日に機材が搬入されステージが設置され立派なライブハウスに変貌した。普段は津軽三味線の発表会やバドミントンやバスケットボールの大会が行われているこじんまりとした厭世的閉鎖空間に、県内外から多くの聴衆がこぞって詰め掛け熱気を充満させた。

 演奏中、遠野は好きだった女の子やかつての友達や先生の顔を客席に発見する。彼の知り合いが彼の演奏を聴きに来ている。冷めたフロントマン遠野の瞳とはうらはらに、ステージを見る女の子の瞳はきらきら輝いて驚きに満ちている。彼女らは終演後の遠野のもとへ駆け寄り「きてよかった!」と話しかけてくれる。「おう、ありがとう」と彼は答える。

 

 与えられた三十分の持ち時間を、MCを挟みつつ三十分遠野は口パクで踊り切った。サンダルは脱いで、素足になっていた。コンクリートから湧き出た黒い泥と雪解け水が混ざり合い、彼の足の裏を汚した。狂乱の妄想コンサートが終了すると、ベランダから手を伸ばして目についた枕カバーを剥ぎ取って足の裏を拭き、部屋の中に戻り、冷蔵庫に入っていた水のペットボトルを取り出して飲んだ。眠れない夜の習慣となっている、妄想一人ライブを部屋の中ではなく、ベランダで行ったのは初めてだ。

 

 踊り疲れて布団の上になだれ込むも、体は火照り心は高揚し眠れない。まだまだ歌い足りないし、まだまだ踊り足りない、枕カバーを引き剥がした時点で遠野が演じて見たい本日の夜は、これからであると分かっている。表現し足りない。とれかかったカーテンレールの隙間から見える夜は奇妙な明るさを保っている。遠野は布団を蹴り上げてコートを着て外へ出ると、行き先も決めないまま、雪が降る東京の畦道をふらふらと歩いて行った。

 

 水気を多く含んだ東京の雪道を歩くと、自室の窓から見たオレンジ色の夜とは別世界のようだった。平凡な光景と平凡な静寂がそこにはありリアルな雪の感触があり、ネイティブな暗闇が街に垂れ込めていた。火照った体にひんやりした夜の冷気は心地よかった。ここには室内特有の倦怠がない。ああ、もう。もしかしたら、部屋から見たオレンジ色の空は幻だったのかもしれないな。部屋の内と外のあまりの違いに、遠野はそう考えた。けれども、一方でこうも考えられる。ヒーターの効いた温かい部屋、親の庇護で満ちた安全な部屋の中にいる自分の方が、夜中突発的に外へ飛び出した今の自分より正常な判断ができていそうだ。すると、まさに今自分が感じている夜の光景が幻で、先ほど部屋の窓から見たオレンジ色の夜空が正しい光景なのかもしれない。そう考えると、眼前の道筋がなんだか頼りなく思えてきた。英文科の二年生は確かに動いていたのに。

 あるいは、見た光景すべてが幻なのかもしれない。七年間の大学生活も、一夏終わるぐらいの質量だった。遠野は、今夜の現実性の希薄さについてひとしきりの可能性を列挙すると、満足し、駅へと反対方向の山道へ歩を進めた。

 

 彼はなるべく通行人がいないルートを無意識に選んで進んでいた。東京の市街地は夜中でも交通量が多いはずのに部屋を出てから誰ともすれ違わず、倒れてから発見が遅れてしまったのもそれが要因の一つだったことは間違いない。青森の冬と東京の冬は、どちらもものすごく冷たいけれど、何か決定的な差がある。冷たさの質のようなものが、両者相対するのだ。だがその原因究明に関心を持つ余裕をすでに遠野は今持ち合わせてはいない。

 

 夜の中を歩いて行くうちに履き古したブーツの隙間から雪解け水が入り込み、夜風は冷気を運び彼の体内温度を少しずつ下げていった。手袋をしていない両手はポケットの中に入れ、かじかむ指でポケットの中に入っていた小銭とピックをまさぐりながら、時折思い出したように脇の下で挟んで温めた。今、帰宅すれば故郷で無残な死を遂げることはなかったが、両耳は、夜の徹底した冷気と激しい音楽で刺激され、雨降る朝の氷柱のようにいつか唐突に折れてしまいそうだった。風が吹くとカナル型のイヤホンが外れそうになった。イヤホンを付け直そうと耳に触れると、耳たぶの形状がこの冷気とは不釣り合いのおだやかな丸みを帯びているなと感じて、面白かった。アパートを出た時は両親が自分に当てた費用とこれまでの学生生活を憂い、懺悔の気分で歩いていたが、歩き出して二時間半、とうに夜半を過ぎた山道で彼が思うのはシャワーを浴びた清潔な身体で布団から這い出して外出した自分への切なる後悔だった。プレイリストから流れてくる曲は、留年が決まってから作ったものに切り替わっていた。上京してつくった曲たちはデモも含めて年代順にレコーダーに吹き込んである。これからの切迫した生活についての不安と、身体的な寒さと長い冬の夜の散歩の疲労感で、曲については散漫になっていたが、留年確定前と留年確定後でつくった曲を連続的に聴いてはじめてこの散歩中、音楽について彼は意識を巡らせた。

 

 遠野の楽曲についてのこだわりは一貫していて、自分が感動する歌をつくる、その一言に尽きた。感動の種類はいろいろなもので良い、変、面白い、楽しい、切ない、悲しい、ふざけている、遊びごごろがある、みずみずしい、痛々しい、不思議、エロチック、優しい、どんな種類の感情でもいいから曲を聴いた時自身の心に訴えてきて小さくても大きくても感動を与えていること。自身が感動できない曲は発表しない。演奏に関しては、アコースティックギターのコードストロークエレキギターアルペジオ、コード進行を忠実になぞるベース、規律正しくリズムキープするスネア強めのドラム。遠野はシンプルなバンド編成を愛した。メンバーやライブハウスのマスターの提案に応じて、キーボードや金管楽器を導入してみたことはあったが、最終的には押し並べてボツにし、のちにレーベルからデビューし音源が発表されてからも収録されることは一度たりともなかった。要するに、簡単な演奏で十全に満足していた。彼の言葉を借りれば、凝って演奏が大仰になるほど感動が褪せていくように感じたのだ。シンプルなバンド編成と、日本語の響きを優先した歌詞、そして自らが心地よく感じる口笛を軸にしたメロディ。それ以上もそれ以下もなかった。だから、特にギタースケールの練習もしなかったし、デモの段階で打ち込みを入れれば求めるイメージのベースやドラムは機器のサンプリングで作成することができた。バンドメンバーは幸いにして、とても練習熱心だったから遠野の理想を忠実にしかも素早く大学近くの借りスタジオで再現してくれた。なかでもベースの刈谷は、遠野の作詞作曲能力に信奉者といっても良いほど惚れ込んでいた。刈谷は、拙い遠野のベース演奏の運指の癖を何百回もある一曲を聴き続けるうちに把握した。遠野の左の薬指は極端に外に沿っており、ちょうど指の腹の盛り上がった部分が通常よりも早く集中して弦に触れる。したがって、音の周波に鋭さが生まれ、一羽だけやたら耳に障るカラスの鳴き声のような独特な高音域を奏でている。ミュートが下手なノイズだらけのデモのベース音から、刈谷はその個性を聴き逃さなかった。風呂で薬指を毎晩外向きに捻りあげ、遠野のイメージに限りなく近づけるよう、デモを聞いてはベースを当てる作業を病んだ紡績工場員のように幾度も繰り返した。

 

「それは、見事な没頭であった。ラディッシュの成功は遠野の才能よりも、その才能を真空パックして聴衆に届けたベース・刈谷の加工技術にあると指摘する業界の人間は多い。

そのコンビネーションをとことん満喫できるのが」

「あのさ、今遠野は歩いているんだから静かにしててくれない?」

「おお、そうだね。すまない、ラディッシュついて話し出すとつい止まらなくなるんだ」

「なんで?」

「なんでって、そりゃあ、ラディッシュがもとい遠野くんの音楽が好きだからさ」

 

 後ろを振り向くと誰もいなかった。空には星が出てきて、歩くたびに星も連れ添うように上空を移動しているように見えた。東京に出て、初めての雪が降り、初めての星の夜だった。何かおかしなことが起きているのだ。スマートフォンの料金支払いが遅れているため出先でネットに接続できない遠野は、この気象がどれほど珍しいものなのか、そもそも現実に起きているのか確認のしようがなかった。田んぼでwi-fiを育てることは不可能だ。となると、自身の感覚や知識を総動員して考察するより他はない。遠野は再度後ろを振り返った。だが、誰もいない。その代わりに夜風が落ち葉を舞い挙げて風景に少し動きが起こっていた。眠らない夜のアパートの窓から辺りを見渡すと、公営団地の新設を伝えるのぼりが風に揺られてはためいていたことを思い出す。絵画の中の造物のようにしずかな夜の風景の中では、些細な風の音や酔っぱらいの足音が、神秘的な重みを持って街へ響き渡る。その響きは、小心の遠野の張り詰めた心を弾いて緊張させた。三年に渡る留年生活は、彼が持つ罪悪感をほったらかしにした台所の黴のようにじわじわと育て内奥で繁殖していた。黴は一言の金言や思いつきで撲滅できるものではない。遠野は自身で育てた黴を一生かけて、それこそ毎日掃除をしてシャワーを浴びて清潔なタオルで身体を拭くように退治していくことになる。しかし、現時点で彼はそんなことを露ほども意識してはいなかった。振り返りながら歩き、また振り返っては緊張し、次第に夜の冷たさを遠野は心地よく感じていた。こうしている限り、誰も自身を咎めないし、就職について向き合ってはいないが、部屋の中で眠りを待ちながら精神的にのたうちまわることもない。肉体的な痛みを得ることで、精神を彼は麻痺させようとしていたのかもしれない。そんな回復はあったとしても、ほんの一時的なものだが、愚かしい方法を取ることで痛みが和らぐ一夜があることも事実だ。長い一生も一夜の積み重ねに他ならない。こんな突発的な冬の散歩ではなく、どうせなら労働や運動で肉体を健康的に刺激すればよいのだが、そんな考えは遠野にはなかった。なぜなら、この行動自体が突発的なものであり不可解なのだから。

 イヤホンから流れる音楽は半年前に作ったロックンロールを流していた。それを聞きながら、遠野は自らの怠惰な生活を振り返る一種の巡業のようなものを自分はしていると思った。辺りには誰もいない。彼の前に人はいないし、振り返った背後にも人はいない。雪解け水で濡れた東京の路地を遠野は歩いていた。家々がひしめき、勾配のある坂を下り、途中何度か行き止まりに出くわして、来た道を引き返したりしながら、ずぶずぶと歩く。路地の住民たちは寝静まり夢を見ていた。家の窓は通りを監視していた。狭い歩道を歩いていると、玄関の明かりがパッと点灯する。電信柱の近くの街灯は、仄明かりを散らす。それらの細かな光の粒子は小雨のように雪解け水で濡れた道路に沈んでいく。

 

 その時に、遠野は影と逢った。

 気がつけばスマートフォンの充電は切れ音楽は止まっていた。光の粒子は暗闇の一角を縁取り、おぼろげな形状を作り始めた。それはいびつな曲線で縁取られていた。粒子が縁取った暗闇は、背景を持っていた。背景の暗闇はデジタル放送に移行したあとの砂嵐みたいに、粒が荒くなっていった。暗闇に濃淡が生まれていた。縁取られた暗闇は、冴えた輝きを放ち、砂嵐の暗闇を飲み込んでいった。そしてテレビのバラエティー番組で見るバルーンのように膨らんでいき、路地を侵食していった。縁取られた影が巨大化を始めた時、遠野は影が生き物のように、命を持っていると感じた。道の上で生まれたものは、道の上を移動するはず。だからその影の後ろを、トップランナーを風除けにして走るベテランランナーのように追走しようと若干歩むペースを加速したのだが、遠野が全速力で走る間も無く、影はあっという間に上空に瞬く星をも覆い隠し、彼の視界を塗りつぶし、いなくなってしまった。やがて、何も生まれてはいなかったのだと言わんばかりに変哲のない夜が来た。

「星キレー」

 遠野は、この散歩中はじめて独り言を漏らした。アパートを出てから、三時間あまりのことだった。

 

 

罪と罰〈上〉 (新潮文庫)

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極北に駆ける (1977年) (文春文庫)

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ハヤブサ

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