言い出しかねて
「孤独とはなんだろうか君」
「ひとりでいることだね」と彼は言った。
即座の返答に思わず納得しかけたが、いやいや彼の回答は間違っていると思った。けれども、だからといって、それを口にはしてはならない。相手の意見を否定して、関係が冷え込んでいくのはまっぴらだ。
その代わりに「孤独とひとりは必ずしも連結しないと思うんだがなあ」と、おれはやんわりと言った。
「孤独と寂寥が同じカテゴリーだと君は思っているんだろう」
「や、寂寥は対人関係が生む感情ではないよ」
「そうかね、見て取れるがね」
決めつけるような彼のものの言い方はおれがいちばん良く知るところで、おれは黙りこくった。こういうときは、黙ってやり過ごすのがいちばんだ。駅前のさもしい商店街に、沈黙が蠅のように訪れた。そしてすぐに飛び去った。
「まあいい。君の心中を発表するよ。教室内で複数名で話している時にー複数といっても三名以上だなーで話している時に寂寥が訪れるんだろう。ぴゅううううううと。寂寥の風が吹いた後、君の海には廃棄物が残される。コカコーラの空き缶や、発泡スチロール、どろどろに溶けたビニールシート、わかばの吸い殻、ビニール袋」
「けだし、廃棄物の山からおれは手紙が入ったガラス瓶を見つけたりする」
「センチメンタリズム」
「うむ」
「良かろう。その手紙には何が書いてある」
「馬鹿言っちゃいけない。読めるわけがない。瓶の口は狭いから手紙を取り出せない。瓶を叩き割れば、破片が海岸にばらまかれ危ない」
「馬鹿は二人だ。瓶の口が狭いとなると、手品師はトリックを使えない、ただの奇術師となる」
「手紙を書いて小さく折りたたんだ後、手紙を瓶に入れる。一度手紙が瓶の中に入ってしまうと手紙を叩き割らない限り、手紙を読むことはできない」
*
「問題は」意外と早く彼は口を開いた。
「手紙に何が書いてあるか、だ。瓶の中の手紙が偶像のモチーフなのだから、手紙の内容も語りたるべきだ。物理的な話をしているのではなく、人の内面の習性の話をしていることをお忘れなきよう。場末の流しのように」
彼は、早口でそうまくし立てると、歌を歌った。流しと呼ぶには大きく力強い声だった。それはメロディというより演説のようにおれには聞こえた。
「うむ」
本来ならば、商店街の途中にある駐車場の手すりに、おれはまたがって彼はもたれてマンホールの蓋を踏んだ得点の合計でも数えているところだったが、なんとなく我々はほとばしっていたので、またがることなくもたれることなく手すりを通り過ぎ、歩を進めた。歩く速度も上がっていって、ズックの紐がほつれかけていた。
「失礼」とつぶやいておれは身をかがめた。靴の紐は、一度ではうまいこと結べず、こだわって何度か結び直すも蝶々結びの左右の輪っかのバランスの悪さが結ぶたびに乱れていって、焦って、煮え切らず蝶々ではなく二重結びにしようかと思ったが、思えば特に急ぎの用があるわけではない。
「どうぞ、結びながらでも」
頭上から彼の催促が聞こえた。おれは靴紐を結びながら、言った。「お菊」
「お菊。手紙の差出人か」と、彼はすかさず尋ねた。
「うむ」
「お菊は長屋で下宿中か!」
「いいや」と、おれは異議を唱えた。「お菊は…クラスメイト」
商店街の明かりはわずかな街灯を残すのみで、ほとんど山道みたいな暗さだった。お夕飯の湯気が消えていくような不安が、シャッターの閉められた商店街に満ちていった。なんの種類の不安だかわからない不安で、それがまた不安を呼び込んだ。鴉が短く鳴きおれの神経をつついた。
「お菊の髪型は?」と、彼がまたも訊いた。
「髪型は、褪せた黒」
「髪型だ」彼が言う。
「褪せた黒が重要で…埃のような」
「埃でいいのか」彼が問う。
「埃でいい。埃が、いい。良い意味で荒れているんだ。お菊の髪は。無添加シャンプー、科学的トロピカルフレーバー・トリートメントなどをお菊の髪は知らない。生粋の南国娘なんだ。だから、髪飾りにハイビスカスの造花なんてつけないよ。彼女は動きやすさを優先しているんだ。ハイチの海で瓶を投げたんだ。父は輸入雑貨を扱うビジネスマンで、趣味のわるい、そうだな蛇の頭がついた孫の手とか都会の夜景みたいに光るフラフープを趣味のわるい金持ちに販売している。驚くべきことにそういうものを買う大人がたくさんいるんだ。お菊はげんなりしてるんだ。だから、手紙を書いた。たったひとりで誰に読まれるか分からない愚痴をしたためたんだ」
おれがお菊について鴉のように嘯いていると、彼はまじめな顔で言った。
「手紙の内容は分かった。お菊のモデルはいるのか?」
「いない」
「嘘はよくない。いるだろう、手紙の主は保科さんだろう」
彼とは対称的に、おれはふざけた顔をした。おれはお菊についてずいぶん長い間話していたので、夜明けの風にさらされて悪寒を覚えていた。しかしおれの体はふるえながらもすこぶる元気だった。そして、クイズに正解するたびにモザイクが剥がれ落ちてスタジオ・ゲストが明らかになっていくテレビ番組のワンコーナーみたいに、マンホールの蓋を踏むたびにお菊の顔があらわになっていったら楽しいだろうな、なんて思いついては、手紙のやめ時を見失っていた。