周辺幻

沖の監視

思い出に浸るのがやめられない

ケイト・エリザベス・ラッセルの『ダーク・ヴァネッサ』という小説を読んだ。
いったいどんな話?と訊かれたら、寄宿学校の生徒と教師が、恋に落ちる話!と答えてしまいそうにもなるが、それは全くの、全くの間違いで、実際は、十五歳の赤毛の女の子と四十二歳の大柄の男性教員が男女の関係に至る話である。もっと噛み砕くと、この物語はラブストーリーではなくサスペンスホラーに分類されると言えるだろう。
ただ複雑なのは、十五歳の女の子ヴァネッサと四十二歳の男性教員ストレインの当人らにとっては、その逢瀬を重ねる日々は輝かしくもあったという点だ。実際に、文学が好きで作文が得意なヴァネッサは文芸部の顧問であるストレイン先生の知的で余裕のある振る舞いに惹かれていた。

しかし、周りの学校関係者からすれば、二人の関係は気味悪く異様に映る。特にヴァネッサの両親からすれば、たまったものではない。ヴァネッサは母親との関係が悪かったけれども、(ストレインはそのことを当然知っていた)寄宿学校の退学が決まったあとの父が運転する車内の空気、そこに充満する果てしない負の感情は、容易に想像がつく。ストレインがいかに十五歳の児童に対し、巧みに接近し、2人の関係を口外しないよう関係を構築していったのかが丁寧に描写されているので、恐ろしくて仕方がない。
物語前半は、ストレイン先生の女生徒と男女関係に至るまでの、一見ロマンスの皮をかぶったその慎重かつ狡猾な手口を、ヴァネッサと共に追体験できる。彼のやり方は、ざっくり分けると以下3つのフローで行われる。

①生徒を褒めそやす(例:きみは感情知能指数が天才級に高く、神童のような文才があり、なんでも話せて信頼できる)②ナボコフのロリータを読ませて、年齢差のある恋愛への物珍しさを緩和させる ③信頼を獲得し相手の好意を感じ取ったタイミングで膝に軽く触れる
③を実行し、女生徒の反応を伺い、嫌がらなければ押し、明らかに嫌がっていれば引く、という寸法だ。仮に生徒から申し立てがあったとしても、「膝に触れてしまっただけ」で強引に押し通す。(もちろん申し立てなどしないようにする脅し文句をストレインは取り揃えているのだが)小児性愛者の彼は、表向きは表彰を受けるぐらい優秀で立派で信頼の厚い教師でもある性被害の実情を明るみにしたくない学校側の組織体制も問題がある。そして、当のヴァネッサは、ベッドで裸にされ苦しみながらも自分が性被害に遭っているとは認識できない。その状態は2017年の現在まで続く。表向きは、何も起こらない。何も起きていない。
「グルーミング」と言う言葉には、猿のノミ取りだけでなく、性的な目的を果たすため少女を手なづける方法、と言う意味があることを僕は本作で初めて知った。
ストレインのグルーミングは確立されている。生徒と毎日のように対面し、学業や対人関係や家族関係の悩みなどを聞けば、おそらく思春期の不安定な心など、3倍近く生きている彼にとって、ある程度は自在にコントロール出来るものなのだろう。

彼の殺し文句をいくつか引用する。

「ほら、きみの髪の色とそっくりだ」

「われわれは似た者同士なんだ、ヴァネッサ」

書くものを見ればわかる、きみはわたしと同じで、暗いロマンティストらしい。黒い翳のようなものに惹かれるんだ」

「いまなにをしたいかわかるかい」

「きみを大きなベッドに寝かせて布団を掛け、おやすみのキスをしてあげたいんだ」

「きみの人生にとって、好ましい存在でありたいんだ。振り返って懐かしく思い出してもらえるような。情けないほどきみに夢中で、それでも手を出すことはなく、最後まで紳士でいた、愉快な中年教師としてね」

「どうかしているな。こんなことを話すべきじゃないのに。きみに悪夢を見せることになる」

物語は、2004年の当時と2017年の現在が交互に語られ進んでゆく。僕が本作で一番惹かれるのは、2017年の成人したヴァネッサがいまだにストレインと連絡を取り合い、長電話を繰り返しているという設定と、その描写だ。

2人の長電話は、年老いたストレインにとっては、若く瑞々しいヴァネッサの肉体や、"ロマンス"に、耽溺できる時間であり、成人したヴァネッサにとっては、自分が一番誉めそやされ美しかった十五歳に戻してもらえる時間である。

#Me too運動がアメリカで拡大し、性被害者が声をあげ、映画関係者や著名人がどんどん訴えられていく中、ストレインもその例外ではなかった。かつての教え子テイラー・バーチがストレインとのやり取りをフェイスブックに投稿するとそれは瞬く間にシェアされ、投稿にはたくさんのグッドボタンと彼女を支持するコメントがついた。成人したヴァネッサは、職を転々とし、ホテルマンとして働きながらも、ゴミにまみれた部屋で自堕落な生活を送り、グリーフ・セラピーを受けながら過ごしている。2人は現在を生きることを半ば放棄し、過去の記憶にずぶずぶと浸ることから逃れられない。
現在の生活が上手くいかずに何もかも諦めたくなる夜に、自身の一番輝かしかった時期を浴室や布団の中で回想したことはありますか?僕はある。だから、この辺りのシーンには、共感も覚え、哀しかった。「禁断の恋愛」を取り扱う作品は映像作品含めて数多くあるが、本作はそれらの特徴である暗いロマンチシズムに現実を突きつけ、過去の過ちを美化することを許さない。内閣府の16歳から24歳の性被害に遭った女性を対象とした調査によると、その半数近くが自分の身に起きた事実を周りに伝えることが出来ないでいるらしい

ラストへの展開が、やや恣意的で強引な気はするけれども、続きが気になって、ページをめくる手が止まらなかった。ヴァネッサが恋愛に取り憑かれている状態の描写と、生活が乱れ心が荒んでいる状態の描写が特に優れていると思った。下巻の途中で、一時的に本書を紛失したときには続きが読みたすぎて自室を無駄に何往復もしてしまった。引力のある作品だ。

悲しみにひたるのがどんなに快感か、母はわかっていない。フィアナ・アップルを聴きながら何時間もハンモックに揺られているのは、幸せでいるより快適なのだ。(上巻、P25) 

 

 


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