周辺幻

沖の監視

スピッツ『ひみつスタジオ』

2023/05/17

仕事をして、すべてが馬鹿らしくもう生産性や人間関係なんてどうでもいいな、と思いながら

合間合間に、何かの抜け道のように、スピッツの新譜「ひみつスタジオ」を聴いていた。

朝の通勤時にカーステで、昼休みに業務端末のイヤホンで、会議中に脳内で、帰りのカーステで、帰宅後にBluetoothスピーカーで「ひみつスタジオ」を聴いた。

 


蛍光イエローの石ころ拾った(『未来未来』)

 


委員会の承認を待てば業務は一向に進まず、自ら動けば他部署のお偉方からストップが入り、同年代にヒアリングすればその上長に話がいく。誠実に仕事と向き合えば心は消耗し、程々にやると爪が甘くなりミスをする。酒を飲むと酔う。本音を言えば恨みを買う。言わなければ聞き出される。適当にあしらうと見抜かれる。思い入れのない相槌を打てば、自分が自分を偽ってすり減らす感触だけが残っていく。

 


眼差しに溶かされたのは 不覚でした(「さびしくなかった」)

 


性格も悪く、目つきも悪い。人の過ちは執拗に責め立てるが、自らは平気で人を裏切る。優しい人を見つけるとたぶらかす。追い回す。その影が完全に見えなくなると、別の優しい人を捜す。外面は良くても、本腰入れて話せば化けの皮は剥がれる。剥がされた後はだらしなく棒立ちになる。思考が停止すると、思考が停止したとためらわず他人へ伝え許しを乞う。「正直」「実直」「素直」。自分の唯一のファンクラブ会員である自分は、自分の性格をそう言い換えて毎日をやり過ごすものの、その実態は抗うことが面倒で怠けているだけである。世界に問いを立てることが出来ないため、平穏を標榜し安直に日々を送っているのだ。

 


ここは地獄ではないんだよ 優しい人になりたいよね(「跳べ」)

 


自分が表現者になれないので、表現をしているすべての人間に劣等感がある。どんなに良い映画を見ても、本を読んでも、音楽を聞いても、面白いお笑いを見ても、「結局、そうはいってもあなたは表現者なんですよね?」と勝手に食ってかかっている。私は聞き手。あなたは話し手。しかしながら、そんな卑屈な心情を何かの原動力にもユーモアにも生きる理由にも特に変換することはなく、タバコの火をつけたり消したりしながら、思考停止し一人でぶつぶつごちている。その独り言を聞かざるを得ないのは飼い猫のムルである。ムルは私が帰宅すると、玄関で待っていて餌を欲しがって鳴く。餌をたいらげて満腹になると沈黙し自分の手足を上手に舐める。そして、しっぽをおっ立てて窓の外を眺める。

 


会うたびに苦しくて でもまた会いたくなるよ(「ときめきPart1」)

 


「自分は着実に、気狂い爺に近づいて行っている」と以前妻に打ち明けたら、妻は「もうなっている」と言った。そうか、俺はすでに齢33にして、気狂い爺になったんだ。ところで、気狂い爺である自分はすべての物事がうまくいけばいいと思っている。例えば、京都に住む麻平(あさだいら)君が北海道にいきたいと思ったら、ぜひ行ってほしいと思う。行きたいと言ったまま、ずっと行ってない。みたいな状況が、それが他人であっても見ていて嫌な時がある。もし「お金がなくて北海道には行けない」と麻平が困っているのなら、「はよお金を手に入れて行けや」と思う。そう、思う。思うのみ。私が神様だったら麻平にお金をあげたいと思うが、そんなお金はないので、そう思うことしかできない。そうやって、思うことしかできないのが居心地が悪くて仕方がない。居心地の悪さに耐えられないので、雑に解ったふりをしたり、洗い物をこなしたりして気持ちの悪さを早めに解消したくなる。問題や課題が立ち上がると、すぐに解決したくなる「解決病」患者の素質が自分にも備わっているのかと思うと、怖い。それに、現実ではお金に困っている人にお金をあげようとしても、何故かあげられなかったり受け取らないケースは多々ある。現実は「お金をあげる」「お金をもらうね、ありがとう」のおままごと的な平和は立ち行かなくなる。そうなると、単純なことしか考えられない自分は、まためくるめく思考停止のループに突入してしまう。

 


マニュアル通りにこなしてきたのに 動けなくなった心(『修理のうた』)

 


2018年頃に東京から故郷戻ってきたことをきっかけに私はランニングを始めた。走っていると、何も考えていなくても、とりあえず走っているので、思考停止で生きている私はわりと居心地がいいことを発見した。だって、なんにも考えてないくせに家で本読んでいてもバカみたいだから。頭のいい人やものを日頃考えている人は、読書しても居心地がいいかもしれないけど、読んだ側から穴の空いたばけつのように即座に文章を忘れていくし、読み違えるし、鰭も鮨と読むし。じゃあ考えなくてもいい本を読めば?と提案されるが、そんな本読む必要ない。それなら音楽聴いて僕は歩きたい。友達とくだらない話したり、コンビニのエクレアを食べる。どうして世界はこんなに思考や意義で満ちているかのように振る舞うのだろう?世界に向かって、もうコスプレはやめろ早くステージを降りろと言いたい気分で生きている。

 


ひとつでも幸せをバカなりに掴めた デコポンの甘さみたいじゃん(「めぐりめぐって」)

 


小学生2年生の頃に、母の運転する軽自動車のカーステレオから『空も飛べるはず』という歌を聴いて、はじめて歌詞カードを読み、「幼い微熱を下げられないまま」という歌い出しにたじろいだ。「幼い」と「微熱」が組み合わさるなんて。そんなことをしてもいいの??怒られないの??誤りじゃないの??衝撃だった。そこから自分も歌詞をかいたり曲をつくったり、文章を書いたり演劇をしたりもした。大学に入って3度留年し卒業して、就職したり退職したり結婚したりしていると気が付けば33歳。思えば、その間の約二十五年、ずっとスピッツを聞いてきた。

 


毒も癒しも真心込めて 君に聴かせるためだけに(『オバケのロックバンド』)

 


何故こんなに良い楽曲を生み出せるのだろう?その理由が知りたくて、スピッツのルーツを辿り、ブルーハーツを聴き、パンクロックというジャンルを知った。御三家の中では、クラッシュが多彩で好きだった。自分でもやってみたくなりギターを弾き始めると、ギターのいろんな音色を聞くのが楽しくなってきて、ブリットポップから入り、シューゲイザーグランジ、ツゥイーポップ,

ネオアコとがっつりハマった。結果、自分は粗いがさつなローファイのギターストロークに、きらきらの俗にいう角砂糖のようなアルペジオが重なって、ユーモアいっぱいに跳ね回るベースがあって、堅実なドラムがそれらを支えている、というような構図の四人編成バンドが大好きなのだと知ることができた。

 


しなやかでオリジナルなエナジーで 新宿によく似てる魔境 駆け抜けてく『Sandie』

 


新譜の1回目を聴いた感覚は、当然その1回目のみでしか味わうことができないので、これから何十年も聴くにつれて印象は変わってしまうから、その1回目の印象をここに閉じ込めるため、書く。

 


01『i-O 修理のうた』をパジャマのまま聴いたが、聴きながら、朝から精神が修復されていく実感があり、まだ一日は始まったばかりなのにな、と自分の現状が笑えた。通しで聞いたけど、この曲は謎に満ちてますよ。聞き込みたいです。

02『跳べ』はエネルギッシュでギュッとつまった音。『あわ』で「優しいひと やっぱりやだな』と歌っていたひねくれ者の彼らが何十年も経て「優しい人になりたいよね」と歌っているんだけど、その二つが相反したことを言っているようには感じない。勇気の出る強い歌詞だけど、ハードなクレーム対応のあと、社内の人から労いの言葉をかけられた時につい出てしまう本音のような、どこか「ぽろっと」感のあるサビの歌詞が良い。

「つまようじ」という小さな小さな単語から幕開ける03『大好物』は大ぶりの桃にかぶりついているような、こぼれた果汁まで美味しくいただけるような(?)幸福感。「君の大好きな物なら僕も多分明日には好き」というフレーズで接近したあとに、「そんなこと言う自分に笑えてくる」でスウェー・バックする、そのバランス感覚に惹かれる。

04『美しい鰭』は、名探偵コナンの予告編でサビだけ聴いていたけど、フルで聞くと、楽しい楽しいAメロ。ジャンプしたクジラがあげる水しぶきのようなドラムから、優雅に大海原を渡るようなギターフレーズにびっくり。この曲、最新のチェリー、って感じ。

05『さびしくなかった』。一番好きかも。「Holiday』や『ハヤブサ』で見せたような、逆説的な歌詞とこの淡々とした曲調が合わさって、聴きながらいろいろと個人的な思いを馳せてしまいそう。2、3、4と、映画「スティング」のような充実した内容の曲が続いていたので、この余白のある感じがいいです。「さびしくなかった君に会うまでは ひとりで食事する時も ひとりで灯り消す時も」最高ですね。

朝の通勤時に本作を聴いていたんですが、この06『オバケのロックバンド』で泣いてしまいました。理由はわかりません。演奏すること自体を歌っていたり、メンバー全員ボーカルだったり、ギターが粗めでカッコよかったり、色々あんのかもしれませんが、曲が持つ雰囲気なのかなって思います。「君に聴かせるためだけに」はややあざといけど、ずっと「君」へ歌ってきたスピッツが歌うので説得力が段違い。

この辺から、最近ぽいというか、07『手毬』と08『未来未来』はあえて挙げるなら、スカートっぽいなと思いました。スカート『暗礁』のイントロの感じと『未来未来』近しいなって。『手毬』の浮遊感のあるメロディがたまんないですね。春の日に散歩していたら風が吹いて、風にさらわれてそのまま宇宙旅行してしまったような、ロバート・F・ヤングの「たんぽぽ娘」的な甘いSFチックな印象をなぜか受けました。草野さんがアシモフ好きだという情報を、「スピッツ2」で知ったので勝手に連想してしまっただけかもしれませんが。

『未来未来』は、スピッツ好きな友達も「一番人気みたい」とツイッターの情報を教えてくれましたが、すごくかっこいいです。エッジの聴いたカッティング・ギターとスーパーボール並みに弾力のある田村さんのベース、崎山さんのタイトなドラムで始まって、アッテラ族の祭りで聞こえてくるようなヴォイスが。そこに冷凍都市のようなストロボ・ギター。ちょっとゲーム・チックだなって思いました。ワクワク感半端ないです、このイントロ。

09『紫の夜を越えて』先行シングルですね。静かな始まりから、ゆったりと体が持ち上がり、現在へ立ち向かっていくような頼もしい一曲。これは近年の楽曲傾向としても言えるんですが、繊細さと力強さを兼ね備えて、かつ現代を照射していますよね。ビシビシ気迫を感じられる強気な名刺曲です。

10『Sandie』シリアスの後はコメディ、緊張の後の緩和、サウナの後のオロポ、ではないけど、呑気でご機嫌なナンバー。昼休みにこれを聴いてたんですけど、午前中の仕事のストレスがふっとなくなったような一瞬が訪れたんですよね。「力抜いていこうよ」の直接的な一言では、絶対不可能な本当の力の抜き方に成功しました。肩軽くなりました。スーベニアの自転車的な立ち位置?

11『ときめきpart1』。作家の村上春樹さんは、文章で「ヤバい」は使えない、と言っていたけど、草野さんは使いました。普遍性の捉え方が違うのかもしれない。音楽家は瞬間の凍結に永遠性を見るのかも。歌詞においては、言葉がファジーでも楽曲によりニュアンスが補強されるから、「ヤバい」みたいなミラクル多義語を使用出来んのかもしんない。「恋のうた」や「恋する凡人」で生きる理由を恋するためと断言し、「コメット」では「恋するついでに人になった」と歌い上げた草野さん。このまま、ときめきと心中して欲しい。この曲も大好きです。

12『讃歌』は、ちらっと過去を振り向くのではなく、思い切り過去と相対し、その上で進んでいくっていう堂々とした態度の曲って印象。重めの曲、暗めの曲はそのまま思う存分堕ちていこう!の姿勢を貫く楽曲が多かったけど、今はやはり前を向くっていう姿勢ですね。こう言う曲は、いちいち共感すんじゃなくて、信頼して体を預けるように聴きたい。

13『めぐりめぐって』はまさに「ひみつスタジオ」のような一曲。絵本を開いていたら、ぐりとぐらがページから出てきてしまい部屋全体にホットケーキの香りが充満したかのような、そんな楽しさがありますね。「みなと」ぐらいから、歌う事・演奏する事自体をテーマに取り上げることに躊躇いがなくなったような。ファンとしては、嬉しい吹っ切れ方をスピッツはしてくれてますよね。

 


こんなところが、新譜を聞いた第一印象です。読んでくれた人、ありがとうございます。最高のアルバムですね!