周辺幻

沖の監視

月曜の朝に

 

 通勤電車の中で、こんな想像をすることがある。

 

 成田空港の従業員用トイレの中で、わたしはまっさらな赤のスカートとジャケットの制服に身を包み、メタルブラックの太いベルトを巻いて鏡の前に立っている。ロビーへ出ると、口紅を強めに引いた口角をやわらかくあげて、笑顔をふりまきながら、乗客数を確認し安全装置をチェックする。旅客機はふんわりと滑空路から離れ、長いフライトに出る。モスクワ上空を飛ぶ頃には、乗客の大半は朦朧としている。機内の様子を点検するわたしに、声がかかる。白いふさふさのあご髭をたくわえた丸メガネの人の良さそうなおじいちゃんと、そのお孫さんらしき男の子の二人組だ。「いかがされましたか?」わたしはきりっとした整形の瞳を光らせ笑顔で近づいていく。

 

 すると、お孫さんの方が旅の思い出にと小さな青いリュックサックからストラップを取り出して、わたしに差し出してくれる。「え、これは?」「お姉さんにあげる。親切にしてくれたから」「まあ」とためらいながらも「ありがとう」と満面の笑みのわたし。親切にした覚えなんてないんだけれど(ビールとオレンジジュースをそれぞれに運んだくらい)わたしはストラップのお礼に、少年の手元に置いてある紙ナプキンをとって、鶴を折ってプレゼントする。「これは日本の折り紙です。つる、という鳥なの。旅の記念に」ちょっと、もったいぶった喋り方で言うの。押し付けがましい言い方だったかもしれない。っていうのは、普段は鶴なんて折らないのね、スチュワーデスは機内ではいろいろと忙しいし、そんな時間的余裕がない。無線機は指示がうるさく飛んでくるし、クレームも日常茶飯事で、対応に追われているし。でも、この日に限っては乗客も少なかったし滞空時間も長くて、ふと折ってみたのよ。わたしが日常的に鶴を折り慣れていたなら、もっとスマートなふるまいができたかもしれないけどね。

 

 

 でも、この不慣れな感じが、ふとした思いつきってところがよかったのかもしれない。少年は目を輝かせ、「つる」を小さな両手で持ち、羽の部分を触ったりしている。隣のおじいちゃんは、目を丸くして、ファンタスティック!に近いニュアンスの母国語感嘆詞を漏らしている。正確にはなんて言っているのかわからないけれど、動作や目の輝きで喜びが伝わるんだ。わたしは嬉しい。喜んでもらえて。

 

 長いフライトはもう終わる。安全運転で本日も運行いたしました。もうすぐ終着。おじいちゃんとお孫さんが暮らす祖国はもうすぐ。

 

 ここで場面はぱーんと飛んで、わたしはあるアフリカの国の教室で鶴を折っている。教室の真ん中の学習机で、プリントの裏紙を使って折った鶴のくちばしを細い指でとがらせている。仕上げに息を吹き込んで、鶴の胴体を形成する。わたしを取り囲むようにして周りには小麦色の肌をした少年少女たちが目をらんらんと輝かせて集まってきている。鶴の他にも、手裏剣や引っ張ると動くくちびるや牡丹の花なんかを次々に折って、それから丁寧につくりかたを子供達に教えてあげるの。その国には折り紙という文化がないのね。彼らの目には、一枚の紙からいろんなものを生み出すわたしが錬金術師のように映っている。ちょっとした魔法使いにわたしはなっている。でも、そこにはしかるべき手順が存在し、きちんと方法をレクチャーすればみんな錬金術師になれるわけよ。わたしは八名幼稚園で、鶴の折り方を教わっていただけ。要は、文化交流ね。たまたまその国と日本を結ぶ大使にわたしは任命されたの。

 

 

 講義の最後にはみんなで折った色とりどりの紙飛行機を持ち出して、学校を飛び出して表へ出る。広い広い広いアフリカの大地よ。太陽は高く、灼熱の日差しが照りつけて、黄土色に大地は光ってる。みんな裸足で駆け回るものだから、わたしも真似してそうしてみると、素足に灼けた土の熱が伝わって、思わず彼らと同じように駆け出してしまうの。それで、澄み切った青空へ紙飛行機を飛ばし、振り向くと観客席は総立ちで拍手喝采の嵐。壇上のわたしは、白い歯をみせて笑いながら、観客に向かって持っていた紙飛行機を放つの。紙飛行機は観客の頭上を垂直に飛んでいき、会場の壁を抜けて、ニューヨークのビル街を抜けて海を渡ってアフリカのサバンナまで向かい、やがて小さな星のように、点となり粒となり消えてしまうまでわたしはその飛行機のストレートな滑空を眺めているの、そういう想像。