周辺幻

沖の監視

【短編小説】嘔吐2023

漫才を見ると吐く女は、僕と暮らし始めるまでお笑いをまともに見てこなかった。ダウンタウンも、明石家さんまも、タモリも知らなかった。

特に何があったわけではない。厳格な家庭に育ちバラエティを一切見せてもらえなかったからとか、西のお笑い文化を一切受け付けていなかったとか、そういった類の話ではない。むしろ彼女の出自は大阪でお笑いの文化はごく身近なものだった。クラスメイトは放課後お笑いの劇場に寄り、深夜のテレビバラエティをチェックし、面白い芸人や企画について忌憚のない意見を教室の隅でぶつけあっていた。僕も彼女と同じクラスメイトだったら、おそらくその中にいて唾を飛ばしていたはずだ。しかし、彼女はその会話に参加することはなかった、それだけのことだ。彼女の家にはテレビもビデオデッキもあり夕飯後には母親と二人の妹たちはウリナリめちゃイケ電波少年を見ていたが、彼女にはそれが遠い国の学校行事のようなものに思えた。お笑いを見聞きするよりも演劇や舞踏やクラシック音楽の方が面白かったし、それ以上に本や参考書を開く方が自分を鼓舞する感覚が得られて好きだった。周りは周り、私は私。テレビを全く見ないわけではないが、クラスメイトや家族がいうところの有名人の名をわざわざ覚えようとは思わない。彼女にとって有名人とはダウンタウンではなくアインシュタインあり、明石家さんまではなくレオンハルト・オイラーであり、タモリではなくノブ・モリオだった。その考えは小学生でも中学生でも高校生になっても大学に行っても変わることはなかったが、彼女が二十三歳の時、スーパーマーケットのバイト先の先輩ーつまり僕ーと同棲し始めてから日常へ本格的にお笑いが入り込み始めた。レジ打ちをする彼女の締め作業を、機械管理者(といってもただのダブルチェック要員に過ぎない)の僕が点検する。彼女がレジの記録と現金を照合し僕は手元のバインダーのOK欄にチェックを入れる。簡単な作業だ。その形式的なやり取りが三十回程超えたある秋の日、僕たちは初めて作業に関する最低限の会話以外のやり取りをした。

「なんで頭がいいのにレジ打ちのバイトなんかしてんの?家庭教師とか塾講師の方が割がいいのに」と僕は言った。

「好きですから、レジ打ち」と彼女は答えた。「櫻井さんこそなんで?」

「人としゃべらなくて済むから」と僕は言った。

それから僕はバインダーに挟んでいた予備のチェックシートの裏へ電話番号を書きバインダーごと彼女に渡すとそのまま二度とバイト先には行かなかった。群馬から東京へ出てきて三年、最低限のバイトと食事で辛うじて生き延びながらネタを書き続ける毎日だったが一つも芽は出ていない。もう放送作家の夢も潮時だと思った。三年間で書き溜めたネタ帳の全てを捨て荷造りを完了しアパートを引き払う前日、電話が鳴った。ほとんど会話らしい会話をしていなかったはずだが、すぐにその声の主がバイト先のあの女だと分かった。

「電話、かけてみました」と彼女は言った。「フィッツジェラルドグレート・ギャツビーを読んだから」

「それってどんな本?」

「ある男女が瓦解する話」

「詳しく聞かせてよ。これから早稲田のジョナサンでハンバーグとか食いながらさ」

 彼女の電話を受けて食事に誘おうと思った理由は大きく分けると三つある。一つ、彼女が好きだった。一つ、自棄になっていた。一つ、瓦解の意味を知りたかった。

あの晩僕たちはジョナサンで何時間過ごしていただろう。僕はドリンクバーで飲めるすべての種類のドリンクを飲み、デミグラスハンバーグのセットとサイコロステーキと海鮮チゲうどんと季節のあまおうパフェとフライドポテトの山盛りを平らげた。彼女はといえば、目の前のコーヒー一杯すら飲み干さず、絶え間なく喋り続けていた。僕はテーブルに並んだ久々のまともな食事に舌鼓を打ちながら、彼女の生い立ちを聞き、フィッツジェラルドの文章構造について聞き、パリの街並みの移ろいについて聞き、ルービンの統計的因果推論について聞き、一つの詩が完成するまでの果てしない道のりについて聞いた。瓦解の意味が結局分からないまま、彼女が会計を済まし店を出ると朝靄の中で鳥の鳴き声が聞こえた。その日から僕は彼女のアパートに転がり込んだ。

居候生活が始まると一日がやけに長く感じられる。当面は働かずともライフラインが止まることはないし手作りの料理にもありつける。僕は彼女が作り置きしていたポトフやロールキャベツやシチューなんかをすすりながら、有り余る時間のすべてをバラエティ鑑賞に注ぎ込み始めた。大学の授業を受け、家庭教師のバイトを終えて夜遅く帰ってきても、彼女は机に向かい本を読みノートに何か書きつけていた。おそらく料理は僕が寝ている間につくっているのだろう。彼女が机に向かい文字を目で追っている姿は美しく圧倒されたが、同時に僕を少し辟易とさせた。お笑いよりも読書や勉強が面白いだなんて!小学生のとき国語の教科書を早々に紛失し、中学生のとき一次関数と聞くだけで発狂寸前となっていた僕には彼女の学習生活を見ても尚その趣向が信じられなかった。でも、人それぞれだ、何を面白いと思うかは。そしてまた誰かを好きになることも。

彼女は、早稲田大学理工学部を主席で卒業し、私立進学高の数学教員となった。またその傍ら、高校生の現代詩の選考委員を務めながら自ら詩や散文を書いている同棲し始めた一年目の冬に僕も彼女の詩を見せてもらったことをよく覚えている。教養のない僕にも読める平易な言葉でその詩は構成されていた。理由はよく分からないが、一読し、凄いと思った。僕が漠然と感じた「凄い」の一言。それは、プロの目にはこんな風に表現される。彼女の詩が文芸誌に掲載されたときの選評を引こう。

 

"大胆不敵でありながら工芸品のような優美さと繊細さを兼ね備え、独特のリズムで読み手の心をつかむ。特に優れているのは構成力だ。一見ばらばらに見える欠片を、この若き作者は眼を凝らし拾い上げる。そして、まるで将棋の新手のような鮮やかな発想で、点在する欠片からダイアモンドを生成してしまう"
"
羽生善治棋士が打った一手により既存の手筋が押しなべてアップデートされてしまったように、今まで誰も思いつかなかった新たな正解を彼女は見つけ出してしまうのだ。"
"
その技術は、当然作者が本を読み、書くことを中心としてして習得してきたと考えられるわけだが、はたからその手腕を目撃すると、ほとんど神業(マジック)のようなものに見え、その種明かしが行われた暁には、どうにも後天的に身につけたもの以外の「才能」という二文字が種に仕込まれていると想像せずにはいられなかった"

 

「もう少しストレートにものを言えないもんかな」選評が掲載されているページに付箋を貼りながら僕は言った。彼女はたしか微笑し、どこか居心地悪そうにこう答えたはずだ。「ありがたいよねえ」

ありとあらゆる物事には光があれば影がある。選考委員の先生方は光を浴びて無邪気に絶賛しているが、生活を共にする僕は彼女の影の部分を知っている。彼女はお喋りが絶望的に下手だ。四分間で収まる話を二週間かけて喋る。書き言葉ではあれほど見事に組み立られていた言葉の破片が、話し言葉になった途端に崩れ出し、見失い、まるで明石家さんまの容赦ない振りに応じるユーチューバーのように、彼女はおろおろとしている。ひとたびペンを握れば人の一生を圧縮し、僅か十四行で表現しているはずなのに。どうやら才能というものは相応の代償を支払うことでしか獲得できないらしい。

彼女は煙草を引っ切り無しに吸いながら定期的に詩を創作し定期的に応募し定期的に受賞していたが、編集部から送られてくる授賞式やパーティの招待メールには欠席の連絡を入れるのみであった。そのうち、メールが送られてくることはなくなった。話すことが嫌いな訳ではないがとにかく億劫らしい。知らない人と知らない会場でとなるとそれは尚更顕著にあらわれる

 

例えばあなたが彼女と何か話そうとする。あなたは彼女とスターウォーズの新作を観に行き、帰りに映画の感想について話していたとしよう。あなたは映画の余韻に浸りながらも、内容にいくつかの疑問点を持っている。あのキャラクターとキャラクターの関係性は?結末が示唆するものは?金髪の女が背中から呼びかける声に振り向かず立ち去ったのは何故?果たして金髪の女はどこへ行ったのだろう?故郷の火星?もしくは旅の途中で立ち寄った湖畔?イオンモール高崎店?あるいは意識のブラック・ホール?頭に渦巻くこれらの疑問点を彼女ならば解消してくれるはず。あなたはそう期待する。ちなみに、ご承知の通り僕は一度もスターウォーズを観たことはない。

「映画どうだった?」とにかくあなたはそう質問し彼女の感想を待つ。すると、彼女は唐突にお雑煮の文化について話し始める。あなたは、一瞬何が起こったか分からなくなりパニクる。そのまま茫然としつつも二人歩みを進めているうちに、話はお雑煮の文化から、彼女の実家での正月の過ごし方に移行している。あなたは切符を買ったところまではよかった。しかし、どうやら電車を乗り違えたらしい。
 あなたは反対に流れる車窓の景色を見ながら、次の駅で電車を降りようと目の前の彼女を説得しようとする。「僕たちはスターウォーズの新作を観に行ったんだよね?」けれども、時、すでに遅し。電車はノンストップで終点へと進んでいく。お雑煮の話は、彼女の母親の話になり、幼少期の登下校の出来事が紹介され、気が付けば現代ドイツの精神病理について、彼女はその見解を述べているのだ。

では、やり直そう。お雑煮の文化の話の時点で、「それはスターウォーズと何の関連があるの?」と訊けばよかったんだ。簡単なことだ。関西と関東の出汁の取り方について彼女がレクチャーする前に、あなたは間髪入れず訊ねる。すると、「私の中では関連してるんだ」と必ず説明が入る。しかも即答で。自信たっぷりの声に思わずたじろぐ。

スターウォーズとお雑煮文化が?はて?

あなたは、お雑煮の文化の話を無碍にも出来ず、ひとまず耳を傾ける。
ここで、「関連してるってどういうこと?」などと質問を重ねてはならない。そんなことを絶対にしてはいけない。もしかすると、一回目の挑戦では何かを聞き逃してしまったのかもしれない。何しろ彼女は文章の天才だ。今度は注意深く、お雑煮の話を聞いてみよう。

ほら、その配慮がいけなかった。その謙遜がいけなかった。あなたがいくら注意深くなろうとも、そんなことは関係がない。話が終点に到着しようやく電車を降りると、そこはドイツの精神病棟の寝台の上だ。

全く、一体どうやって数学を生徒たちに教えていたのだろう。定められた期間内にカリキュラムを網羅することが出来るとはとても思えない。生徒たちは君の説明を聞いて一次関数が理解できるの?かつて彼女にそう訊いたところ「じゃあ今から授業しようか」と言いだしたのでそれから一度も話題に出していない。僕はxとかyとか言われただけで、身体中を搔きむしりたくなる衝動に襲われる。

漫才を見ると吐く女は、僕と同棲して五年目の春に初めてダウンタウンの顔を認識することが出来るようになった。彼女が数学教師になって三年目。初めて特進クラスの担当に就いたと喜んでいた年だった。テレビに映ると指をさし「松っちゃん、浜ちゃんだ!」と知人を見つけたかのように喜んで言っている。ただ、二人がダウンタウンというコンビであること、松ちゃんがボケ浜ちゃんがツッコミという役割を持っていることは、どうにも理解が及ばないらしい。僕が挫けず説明し、何度もガキ使やワールド・ダウンタウンやごっつを見せ続けているうちに、少しずつ少しずつ彼女はダウンタウンという言葉を覚え始めた。しかし、やはり芸人のコンビという枠組が理解しがたいらしく、未だに千鳥が二人テレビに映っていると、「あ、千鳥と大吾だ!」と言うし、モグライダーを見ると、「あ、芝とモグライダーだ」と言う。トリオが出てくると余計に混乱している。おたけを見るとジャングルポケット、と言い、ジャングルポケットを見ると、おたけだ、と叫ぶ。なぜだかダウ90000については驚くほど素直に飲み込んでいたけれど。

 

僕たちが同棲して八年が経った。僕は友人の紹介で地元の印刷業者に就職し、それに伴い、彼女は東京のアパートを引き払い、二人で高崎に引っ越した。彼女は教員を辞め詩作に関する様々を辞めた。その間に、バラエティの形態も視聴方法も出演者もずいぶんと変化した。高崎に戻り、放送作家になることを放棄すると身体は軽くなり、僕は小学生のときウリナリを見ていたころのようにバラエティを純粋に楽しめるようになった。彼女も読書や勉強をすることはだいぶ減った。その代わりに、僕と並んでバラエティを見る時間が増えた。二〇二三年もじきに終わろうとしている。テレビの番組表には年末特番が少しずつ顔を出し始め、年末の大型漫才コンテストの告知番組や事前番組が流れ始めていた。コンテストの放送日はクリスマスイブ。毎年恒例となったスーパーの買い出しも馴れたものだ。

僕たちは放送当日、クリスマスならではの飾りつけや食品が並んだスーパーで買い出しに行く。フライドチキン、お刺身、コーンスープ、大量のサラダ、ハーゲンダッツ、そしてビールを1ダース...番組の途中で酒が切れたら興醒めだ。僕たちはセルフレジで商品のバーコードを一心不乱にスキャンしていく。

「ねぇ、バイトしてた時よりさ、真面目にやってる感じしない?」と彼女が言った。

「俺はね。ただバインダー持ってあほみたいな顔ぶら下げて傍観してただけだから。でも、お前は違うだろ?」

「ううん、ちっとも真面目にやってなかったよ」彼女はそう言うと、笑った。

ピカソの星月夜が描かれたマイバッグから大量の食品を冷蔵庫に入れ、ポテトチップスやチーズ、海老のグリーン・サラダなど、すぐに摘まめるものはビールと共に食卓に並べる。僕たちは事前番組から敗者復活戦から煽りVTRからくまなくチェックした。今年は特に前振りが長い。僕はおつまみを口に入れながら、エビス・ビールのロング缶を4開け、アイラ・ウイスキーをトワイス・アップで5杯飲んだ。彼女は食欲がないのか、サラダを少しつまむ程度でほとんど料理には手をつけず、 お酒も口にしなかった。僕が前菜を平らげ、温めなおしたメインのフライドチキンにかぶりついたとき、本編が始まった。というより、本編が始まる6時半に合わせてフライドチキンを調整していたのだ。面白い漫才を立て続けに享受するのにもエネルギーが要る、僕はそう思っている。彼女は電子タバコを吸いながら、スマートフォンで番組の公式ホームページにアクセスし、出場者の顔ぶれを今一度チェックしていた。モグライダーが出場していることを喜んでいる。おそらく、顔と名前が一致している数少ないコンビなのだろう。敗者復活戦を見ながら何やら書き付けていたノートも手元に置いてある。司会者の今田耕司が審査員を紹介し、スタジオのボルテージがあがる。いよいよレースが幕を開ける。その時部屋に鋭い声が響いた。「ごめん!」

彼女はそう言うやいなや、手元のノートを素早く広げその上に文字を吐いた。僕は急いでチキンやサラダを詰めていたスーパーの袋を持ってきて彼女に渡す。彼女は嗚咽しながら袋へまたも文字を吐く。僕は袋を支え文字を受け止める。袋が異様に重たかった。袋の中の吐瀉物を薄目で見ると、文字がうようよビニールの中で動いている。

「それ返して!」彼女は僕の手から文字入りの袋を奪い取ると、トイレへ駆け込み、鍵をかけた。僕は彼女のえづく音を聞きながら、テレビの中の漫才を見た。トップバッターである令和ロマンが爆発的にウケている。次は、彼女が敗者復活戦を見て気に入っていたシシガシラだが、彼女はトイレに籠って出てこない。

結局、嘔吐は三時間以上続いた。嵐のような激しい嘔吐だった。放送中CMが入るタイミングでトイレから出て寝室で横になっている彼女の背中をさすり、口元についている「っ」や「ょ」などの小さな促音をティッシュで拭った。「大丈夫?」と僕は声をかける。彼女は背中で息をするように身体を震わせながら言った。「そのティッシュ、捨てないで」

僕はくるんだティッシュを開き、促音たちを摘む。「っ」や「ょ」の文字は、彼女の唾がまだ乾いておらずまだ微かな湿り気があり、砂浜に打ち上げられた魚のようにぴちぴちと跳ねた。僕は促音を彼女の手のひらに置いた。

「大丈夫、自分で捨てるから」と彼女は言った。

結局彼女は本戦の漫才を一つも見ることはできなかった。ようやく嘔吐が収まったのは、いよいよ漫才コンテストの優勝者が決まろうとする直前だった。画面の中で、上戸彩が毎年恒例のセリフを言う。「発表は、今年も、CMの、あとです!」

決勝進出した芸人たちが一斉に故意に転倒する中、彼女はようやく楽になったのか寝室からテレビのあるリビングに顔を見せた。程なくして、漫才コンテストのスポンサーである、日清食品カップうどんのCMが流れる。すると、彼女は文字の嘔吐で疲れた眼を輝かせた。画面には軽快な音楽の中リズミカルに歩行する太った芸人の姿がある。漫才を見ると吐く女は画面を指差しながら言った。

 

「もぐら!水田もぐら!水溜まりボンドとコンビなんだよ。空気かたまり!螺旋階段のもぐ川!水谷豊!」